<おまけ>
19ゼミ生は活動が終わった後、チーム毎にLINEのアルバムに写真を投稿しています。後々の活動記録して使うものだそうです。
今日アップされていた写真(の一部)です。
2021年4月30日金曜日
(17)岩奥・宮嶋/ハイブリッドスタイルゼミ(19ゼミ)
2021年4月29日木曜日
1日に何かひとつは見つける
今日は休日ですが、大学は授業日です。ただ、新型コロナウイルスの感染拡大でほとんどの授業をオンラインに移行するようにとの指示があったせいか、今日の大学はかなりひっそりとしています。
休日と変わりにない静けさに包まれたキャンパスでした。
朝から、静けさ中で授業準備をしていましたが、LINE公式アカウントから流れてきたダイヤモンドオンラインの記事
いつの間にか成長している人の秘密、「1行書くだけ日記」で可能に?
https://diamond.jp/articles/-/268288
に目が留まりました。「1行書くだけ日記」というのも出版されているようです。本の表紙に「劇的に変わる!」という言葉がありますが、たぶんそんなことはないでしょう。
劇的に変わる感触を得ることはないと思います。ガンジーの言葉通り(ガリラボ語録にも載せているものですが)、
善きことはカタツムリの速度で進む
のであり、その時々では進んでいることはたぶん分かりません。前進していることがわからなくても、それに取組み続けた人が、長い年月を経た後になってようやく変化に感じるものなのかもしれません。
1行日記については、秋元康さんがかなり昔の本の中で語っておられました。これについて、
1000回~ひとつの変革の時を迎えて(ガリラボ通信2011/9/18)
で触れています。もう10年前の通信です。この中で向田邦子さんの言葉「1日何かひとつ面白いことを見つけよう」というのを守りながらその後10年間通信も継続しております。
面白いことを見つけたときのためにデジカメを携帯して撮影することが癖になってしまいました。このエントリーで5,682回ほどになります。掲載している写真点数を調べてみたら、2万点ほどになっていました。
ということで、私は、1日日記的なものを10年以上続けてきた経験者です。
さぞや劇的な変化を感じているかというと、全くそんなことはありません。何かの変化はあったのかもしれませんが、感じることは、今現在の私がここにいることぐらいです。
では、もしもガリラボ通信という日記を始めていなかったら、どうなっていたのでしょう?
その時も、その時の私が今現在そこにいるだけであろうと思います。
偶然でしょうが、今朝がた読んでいた山本周五郎の小説「長い坂」の中で、物語の主人公「三浦」がやってることを余計なこと、疎ましいことと見えている小屋頭に対して、酒で酔っている森の番人「大造」がこんなことを語るシーンがありました(上巻411頁)
「樹を伐ったあとに苗木を植える、こんなちっぽけなやつをな」彼は両手でその大きさを計ってみせた、「-このっくれえの苗木だ」と彼は云った、「こんなものがなんになるって、人は云うだろう、こんなものが何の役に立つってな、こいつが役に立つまでにゃあ おらあ死んじまうってさ、けれども、小屋頭はせっせと苗木を植えているじゃねえか」
「それとこれとは話が違うわあ」
「実際の役に立つ、誰かがしなければならねえこと」と大造は独り言のように云った、「-こうい云うと青っ臭え、子供じみたことのように聞こえるかもしれねえが、おらあこの世は、それでもっているんだと思うぜ」
このシーンにマーカーを朝引きました。偶然と書きましたが、このシーンを読んだから、今日、一行日記のことが目に留まったのかもしれません。
ちなみに「長い坂」を読むきっかけになったのは、國學院大學が色々な分野の第1戦で活躍している方々から学生に対して1冊の本を紹介してもらうプロジェクトを行っていて、ある2人の方がこの小説を取り上げておられ、それを通して知った本でした。面白い小説です。
これからも何か1日にひとつは面白いことを見つけ、そしてそれを記録しながら日々を(できるだけ)前に進ませていきたいと思います。
2021年4月28日水曜日
感染対策に配慮した19ゼミ生の自主活動
このやり方は3年(19)川口ゼミ長の提案によるものです。
メンバーは3年(19)市原と川口。自主的に集まって打ち合わせをしていたようで、リーダーの山本が声をかけたのでしょう。自発的に、4つのチームがこうしてバラバラに時間差で活動していくことで(分散登校?)、取り組む作品の質はよくなっていくのに違いありません。
2021年4月27日火曜日
会議のアジェンダを設定するということ
熊本県が最高レベル5(厳戒警報)にアップして、大学は原則オンライン授業に移行することになって2日目。
会議のため、学内を歩いていると、意外にまだ学内には学生たちがいて、確かに少ないのは少ないですが、ロックダウンしている感じではありません。
急遽対応するのが難しいということなのでしょうか。それとも??
さて、ガリラボでは2つの会議を行いました。オンラインか対面かのどちらにするかを聞いたところ全員が「対面」を選択。ということで、18ゼミの幹部会議とチームタマにゃんずの会議は対面で行いました。
3人と6人の少人数なので許容範囲でしょう。
幹部会議では、今後のゼミの活動がやり方について議論しました。またタマにゃんずの会議も今後のことが中心ですが、途中、私がずれた話をしてしまい、戸惑ませてしまいました。
前回の復習をできていないためなのですが、こんなときに議事録があるとなぁーと感じます。
議事録で会議前に復習できると、行きつ戻りつという(真に無駄な)議論を回避できるのですけど。
3年(19)生については特にArtractのメンバーは会議をするということについてまだあまりわかっていないだろうと思い、モデルとして、第3回まで私の方で次の「会議次第(アジェンダ)」を作成し、金曜日には全員に提示し、翌週月曜日の会議までには何が議論すべきことかを頭に入れて参加してもらうようにしていました。
2021年4月26日月曜日
遠隔授業への全面移行/Artractの新リーダー
2021年4月23日金曜日
OB(14)(15)の来室/金曜日のゼミ
塘添も仕事を終えて立ち寄ってくれました。
で、今日は久々にオンライン。
2021年4月22日木曜日
紫苑会70周年記念誌に登場している卒業生
古希ですから、全ての年が掲載されれば70頁ほどになるはずですが、掲載ページは35ページほど。約半分です。
総合管理だけでなく文学部も環境共生学部もあるわけです。その中で津曲研究室の卒業生が2人も掲載されているわけですからびっくりしない方がおかしいでしょう。
最初のOG(07)上村は、現在は結婚して姓が変わっており(旧姓で掲載されているようです)、現在は東京に住んでおります(ガリラボ通信2020/6/24)。
入社して数年は熊本勤務でしたが、その後、沖縄勤務を命じられ、もう随分と(7~8年?)沖縄で働いています(ガリラボ通信2018/4/5)。つい先日も連絡を取りましたが、今現在も沖縄で頑張っているようでした。
2021年4月21日水曜日
朝、カラフルなランドセルを見て
幼稚園の年中さんになったばかりの孫娘が、小学校になったら水色のランドセルがほしいと話しているということを聞きました。
水色・・、そんなのがあるのかと驚いたのですが、4月になり、小学校の授業が始まり、楽しそうに駆けているランドセルを見ていると、これがまたなんとカラフルなことか。
水色どころか、多様性そのもの。
今はたくさんの色がランドセルに使われているんですね。
きっと以前から見かけてはいたのでしょうが、「水色」という刺激が頭にインプットされるまでランドセルの色が知覚されることはなく、まったく気づきませんでした。
多様な色のランドセル!!! 少し昔だったらあり得ないことでした。
昔は、黒と赤しかなく、黒は男の子、赤は女の子が使ものというのが「常識」でした。
ランドセルの色という方法を使って、誰もが見える形で男女の間に線を入れ、区別することやっていたわけです。
そうして人(子どもたち)を2つに分けることが当たり前でした。
また同時に、分けられた子どもたちも色の差異によって自分たちの性別というものを(社会的に)自覚させられていったはずです。
そういった時期、黒と赤がほとんどの時代に、異なる色のランドセルが登場したら、いぶかしげな視線を送られたのに違いありません。
そうした視線に息苦しさを覚える子たちもいたのではないかと思います。
多様な色が登場したことで、ランドセルに関するラベル付けは緩やかになったので、この点については息苦しさを多少は解消できているのかなと、そんなことをカラフルのランドセルを見ながら思いました。
ただ、同時に別なことも・・・ラベル付けが緩くなった結果、全員が同じ土俵に上がらされあっとき、果たして男の子たちは大丈夫だろうか、と。笑
少し気になります。
男女の区別の件でもうひとつ。
大学のホームページに教員紹介用のサイトがあって、その情報は教員が各自書き込むのですが、その登録画面に次のように、性別を選ぶ項目があります。
これは必ず選択しないといけないことになっており、さらに選択肢には「男性」か「女性」かしかないのです。
2021年4月20日火曜日
学生GP決定書交付式
2021年4月19日月曜日
Artract19記念撮影/タマにゃんず
今日はフリーディスカッションをしましたが、面白いアイデアをどんどん出してくれるので非常に楽しい会議となりました。
どれも実現すると楽しそうです。いや、ぜひとも実現していってほしいと思います。
会議が終わったあとも、メンバーでわいわいと色々と試して(実験して)いるようでした。
同じ学生GPチームとして活動しているチーム「タマにゃんず」が情報発信を開始しています。
ここ最近なんともゆるーいツイートをみかけます。最近だと、次のツイートを見て爆笑してしまいました。タマにゃんは、韓国ドラマを見るのか、と。ちょっと衝撃(笑)。
2021年4月16日金曜日
19初ゼミ
MOSに合格したとか、読んだ近代小説を動画化したり、タイピングをマスターしったり、毎日(1日だけ空白あり)筋トレした様子を動画化したり、TOEIC900点を達成したり、スマホとの付き合い方をマスターしたり、HTML+CSSをマスターしたり、豊富な読書体験を紹介したり、ポスター制作を実践したり、自炊を完璧にしたりと、どのゼミ生の達成状況も素晴らしものでした。
2021年4月15日木曜日
熊本地震から5年、コロナ禍から1年
熊本地震から5年が経ちました。5年前は、13ゼミ生が4年生、14ゼミ生が3年生でした。活発だったゼミ生たちは、地震(前震)が起きた夜は、勉強会をしておりました。
がリッジ塾の誕生 (ガリラボ通信2016/4/15)
勉強会が終わってみんなで研究室でくつろいでいた時に前震に襲われました。それからはてんやわんやです。
上の通信を見ると、発行が夜の3:26になっています。9時半の前震から飛び出した私は学内を飛び回っていて、この時間になって落ち着いたようで、書きかけの通信を副学長室から発行したように思います。
徹夜となり、あくる日も学内のチェック作業をやって週明けからは授業が再開できる状態であることを確認して夕方帰宅してからの深夜1時半ごろに、前震よりも大きな被害を出した本震に襲われました。
あんなにひどい状態だったのに、5年も経つとやはり記憶が薄れていきます。自分自身が記録を取ってなかったので(現場で災害に対し直接向き合っていると記録を取るなどとても不可能でした)、その時にどういうことをやっていたのか明確なことがどうしても思い出せません。断片的にガリラボ通信にはその時の様子を書き留めていますが、これはあの時、次々に起きる事態に対応していった状況についてはほとんどが抜けています。
どうにかして記録を残しておくとよかったと今更ながら思います。
また、この当時を見返すと、ゼミ生たちと頻繁に活動や勉強会をやっていたことを思い出しました。
熊本地震からゼミを復興していく過程はゼミ生との活動が活発になったように思います。
一方、コロナ禍の中の現在。他者との接触を避けることが重要な対策のせいか、昨年の緊急事態宣言以降、ゼミ生との連携が急速に減ってしまった気がしています。
物理的な距離が遠くなった分、社会的距離(心理的距離)も遠くなってしまった。
同じ災禍でも内容によって随分と異なる様相になるものです。当然でしょうが。
教員生活の最後を過ごすことになる現在のゼミ生たちと最後は何か残していきたいとは思いうのですが・・。
そのためにはこのコロナ禍をどうにかして克服しなければと・・。
<おまけ>
次は、本震から5日後ぐらいに通常営業したコンビニ写真です。地震後ずっと暗闇であったところにコンビニの明かりを見つけて、言いようがないほどの嬉しさと安堵感を覚えたことを記憶しています。いつもあること、日常というものの大切さをコンビニの明かりで教えてもらった日でした。
2021年4月14日水曜日
紫苑会報84号で「まちをかける」が紹介されていました
2021年4月13日火曜日
タマにゃんず、アイデアは会議の後に?
2021年4月12日月曜日
Artract19の初会議/OG(14)児玉からの連絡/レジリエンス
2021年4月9日金曜日
新年度、中学生の通学風景を前に考えたこと
2021年4月8日木曜日
卒業生向け?人物重視の公務員試験
2021年4月7日水曜日
17ゼミ生の卒業アルバム
2021年4月6日火曜日
新しい管理体制と管理者席について
この2人が中山以上にガリラボを管理してくれるのではないかと思います。
帰り際、さっそく管理者が働いています。4年(18)中山がホワイトボードの情報を新しくしていました。
以上が2021年度の新しい体制となります。