2020年4月5日日曜日

「沈黙の学校」の前で考えたこと

運動不足で体の調子がおかしくなりそうだったので、昨日の早朝、随分と長い距離を散歩しました。
歩き疲れた頃、私の3人の子どもたちの母校の中学校の前を通りました。

桜は満開で、さすがにさえずる声は聞こえませんでしたが、鳥の羽ばたく音は何度か聞こえてきました。
学校の前の農地ではトラクターで畑を耕している音も聞こえてきます。


ただ、子どもたちの声だけが全く聞こえてきません。
休日だから当然ですが、しかし、明日から月曜日となるわけですが、それでもこの学校という場から子どもたちの声が聞こえてくることはないでしょう。
熊本市ではGW明けまで市内小中学校の休講措置が決まりました。
春、いつもであれば、真新しい、ちょっと大きめの制服を着てぎこちなく歩く中学生、あるいは黄色い帽子をかぶった小学生が楽しそうに登校するのが日本の風景でした。

それが今年は見ることがないわけです。
明治期以降、学校制度が始まってから、100年以上もの間で、果たしてそんな事態があったのでしょうか?
もちろん東日本大震災のとき、おそらく東北地方の沿岸部ではそうだったろうと思います。
しかし、令和2年という今年は、それがほぼ日本全国で起きるわけで、こんなにも広いエリアで一斉にというのは恐らく誰も見たことがないのではないかと、子どもの声が聞こえない学校の満開の桜の前でそんなことを思いながら、しばし立ち止まっていました。
静かな学校を前に、ふと思い出したのが
  春が来たが、沈黙の春だった
という全世界に警鐘を鳴らすことなった60年ほど前に書かれたレイチェル・カーソンの「沈黙の春(Silent Spring)」という本のことでした。
確かあったはずと思い、自宅に戻り、書棚を探したら古ぼけた文庫本が見つかりました。


有名なフレーズのあるのは12ページです。


12ページ冒頭、
  ところが、あるときどういう呪いをうけたのか、暗い影があたりにしのびよった。
とあり、そして
  自然は、沈黙した。・・・ 春がきたが、沈黙の春だった。
と続きます。
レイチェル・カーソンのいう「暗い影」とは農薬等に使われていた化学物質のことで、この影響で、広範囲での環境が破壊されて、その結果として「沈黙の春」を誇張して描いたのでした。
今から60年ほど前のことです。
「沈黙の春」による警告は、人間の手による環境破壊の深刻さを気づかせることになり、その後、環境問題について世界の意識は変わっていきます。
その後、環境問題への対応は、世界において重要なテーマとなりました。
わが国の環境省の前身である「環境庁」が発足したのは1971年で、「沈黙の春」の原著が出版されてから9年後のことでした。

化学物質という、目では見えにくい「暗い影」が引き起こした影響は大きいものでした。
農薬もですが、日本では水俣病に代表される公害が「沈黙の春」と同時期に起きていたことでした。

沈黙の春から60年後の今、新型コロナウィルスが「暗い影」として世界中を脅かしています。
その結果として、
  学校は、沈黙した。・・・ 春がきたが、沈黙の春だった。
という状態になってしまいました。
レイチェル・カーソンが描いた「沈黙の春」を、60年経った今、新しい読み方をする必要があるのかもしれません。
現在の状況は、グローバル化との関係性の中で起きていることは火を見るより明らかです。
カーソンの「沈黙の春」によって環境問題に対する世界の人々の意識が変わったとすれば、現在の春になっても子どもたちの声が聞こえてこない「沈黙の学校」は、現在のグローバル化の在り方に関して世界の人々が問題意識を持つことになることは必至でしょう。

世界中の人々が今回の恐怖を一度に味わっているわけですから、意識が変わらない方がおかしい。
これまでのパラダイムを再考し、新しい社会の再構築作業が始まっていくのかもしれません。
そこには当然ながら教育の問題は組み込まれるでしょうが、どういった形になっていくのでしょう。
そして、オンライン化が進んだとき、それは地方の学校にとって強力な幸運を呼び込むことになるのか、それとも致命的な影響を与えることになるのか、そんなことも考えたりします。
どうなっていくのかわかりませんが、長いスパンで考えると、新しい社会的枠組みの中で教育の在り方を考えていくべきことを「沈黙の学校」は示唆しているようにも思います。

再構築の作業は、あちこちに多大な痛みを伴うものです。そうした痛みは、教育だけの問題ではなく、様々な領域に関わるのに違いありません。

東日本大震災が起きたとき、あの大災害がもたらす影響をゼミ生と一緒に考え、今後の社会の在り方について議論したことがあります。
今回もゼミ生と一緒に、コロナ以後の社会のことを考えることをやってみようと思っています。
もちろん、現在のめちゃくちゃな混乱期を生き延びていくための具体的作業もやりながら。並行してですけど。
今後、ポスト・コロナ社会を生きざるを得ないゼミ生にとっての大事な学びになるものと思いますので。



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