今日は私の仕事(授業をする)ことについて自分用にメモ代わりに書いたものです。
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多くの大学で(小中学校も同様でしょうが)、オンラインでの授業がもうすぐ始まります。
いくつかの形態が考えられています。
動画がもっとも情報量豊富なので、この形式が優れているように思います。
実際、ライブで互いに顔を見ながらのゼミは、通常のゼミと極端な違いはないように感じました。
もっともそれは打合せの段階で、具体的なフィジカルな作業を一緒にやらないといけなくなった時には破綻するでしょうけど。
が、ゼミの場合、4・5月は例年、企画作業をメインなのでオンライン会議で十分です。
ゼミについては当面の問題はクリアできました。
来週からは授業が遠隔にて始まります。
さて、動画が情報量豊富というのは確かですが、私の担当するキャリア形成論については、先週には3学部代表と事務局に集まってもらい、原則、動画は使わない方向で提案し、了解をもらいました。
3学部共通のWebサイトを私が作り(作成済み)、課題研究の形式で前期は実施します。
手抜きではないかと思われそうですが、この方向でいくことは、長い間、動画を作ってきたガリラボでの経験を踏まえてのことです。
以下は、それを確かめるために本日やってみたちょっとした実験です。
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動画を全く使わないというのも問題かもしれません。
なので、実験しておく必要がありそうなので、講義の録画配信に向けていくつのソフトを試しながら1日こもってやってみました。
(ちなみにキャリア形成論では上級生の話は動画を撮る予定。ちょっとした工夫をして)。
ゼミ生にいつも話していますが、音をきちんと拾うことが動画にはもっとも大切なことですが、今日はそにはこだわらず、Webカメラ付属のおまけのマイクで録音したのが次の動画です。もともと活舌が悪い上にマイクも遠いので、何を話しているのわからないですね(発声練習を自分に課している教員はそこまで多くないでしょうから、私のような動画になる教員は日本全国たくさんいるはず)。
この動画は、ZOOMを利用して録画しました。
学生がスマホで視聴することを考え、通信量節約のため画質もずいぶんと落としているので動きがかくかくしています。
1分半程度の授業(?)ですが、どう感じるでしょうか。
たった1分半でも退屈です。
本当の授業だとこれが90分続くことになります。学生たちはどう感じるものでしょう。
もしもほとんどの教員が動画配信で授業を行い、朝から夕方までそれが続いた場合、どうなるでしょう。
拷問として感じる学生もいるように思います。
私自身はたぶん持たない気がします。
ということを想像したので、キャリア形成論は課題研究を中心にした設計として提案した次第です。
ところで、、、、
上の動画を視聴して、気づいた人もいるかもしれません。
実は上の動画は編集してあります。
当初、2分15秒のものを不要な部分をカットして1分30秒にしてあります。
ノーカット版(2分15秒)です。
かなりひどい内容なのでアップするのが勇気が必要でした。
さらに言うと、実はこのノーカット版は、1度練習した後に撮影したものです。
最初のはもうひどいもので、さすがにアップしませんでした。笑
芸人でもない、役者でもない私などが、よどみなく、他人が飽きがこないように話すのは不可能。無理です。
だから、私たちのような普通の人たちを撮影したときには編集という作業が不可欠となります。
しかし、編集作業は、動画を撮る時間よりもはるかに長い時間がかかります。
ゼミ生がタマにゃん等で公開してきた数分の動画などは、複数カメラからのカットを組みあわせて視点が立体的になるように作っている視聴に耐えますが、その編集には下手をすると数日かかってしまいます。
わずか数分の動画で、です。
ライブだと、問題は解決するか言うと、ほとんんど録画と同じです。
多分厳しい。
サンデル教授の白熱教室をみればわかります。
ライブ映像も見ている人の視点を移動させてあげるために複数台のカメラが不可欠です。それによって視聴者の意識をうまく駆動させ飽きがこないようにしている。
野球の中継などもで同じ手法が取られています。
さらにはそれ自体が楽しいはずの音楽ライブだって固定カメラでは見るに堪えません。
ライブであっても、工夫がないと長時間の視聴は無理です。
オンラインでの授業はこうした課題をクリアしないと、学生にかなりの苦難を強いることになるはず。
私は役者になるのは絶対に無理なので、動画が必要になることが予想される授業があれば、早めに撮影して、編集をしなければと思いました。
そうした配慮がなくて多くの大学で遠隔授業が始まったら、あちこちで地獄のような状態になるかもしれません。
ツイッターのトレンドワードで「遠隔授業」「オンライン授業」いうのが上位に来るようになるかも。^^
遠隔授業は、教員の知恵と努力とが相当に要求されそうです。
何にしても、非常時に有効に機能するものは日常で使っていて十分に修得していたもの・ことに限ります。
熊本地震という非日常を経験したときに得た教訓です。
コロナ禍という非日常でもそれは同様で、遠隔授業といっても、教員個々が日常的に使っていた方法を工夫することからまず考えないといけないのかもしれません。
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