のではないでしょうか。
祭りのある地域の防災力の強さは、阪神・淡路大震災後の調査の中で
明らかになったとその調査チームにおられた本学の理事長が話をされ
ていました。
昨年からガリラボでは電子書籍作りに取り組んでいますが、これに強烈な
思い入れをしたのは実は祭りが縁でした。
東日本大震災の直前、電子書籍による小説作りを村上龍氏は行っていて、
それをNHKが取材していたのですが、震災によってそれは一変しました。
その様子を取材した番組が2011年5月3日に放送されました。
番組(追跡A to Z)のホームページにその様子がこう紹介されています。
しかし、3月11日の東日本大震災によって、すべては一変した。
『作家は、いま何ができるのか』。
瀬戸内寂聴さんは、物流の滞る被災地に向け、被災者を勇気づけるメッセージを届けようと、
「寂庵だより」を電子化しようと動き出した。
村上さんは、震災によって多くが失われた中で、「日本人のあり方」や「地域の絆」を見つめ
直す必要があると考える。
そして、正月や祭、花見など、地域に長く根付く“伝統行事”を通して、日本人の原点を探る
電子書籍の制作に取り組み始めた。
震災前から震災後へ。作家たちは、どう変わり、何を伝えようとしているのか。
村上龍さんと瀬戸内寂聴さん、2人の半年間を追跡した。
この番組で、心を強く揺さぶられ、私たちのような研究室が電子書籍を作り、
このメディアに担わせるべき意義について深く考えさせられたのでした。
それから(昨年の夏)、ガリラボ内に電子書籍製作のための研究会を立ち上げ、
それを得た知識をもとに、きくりん人のメンバーを中心に菊陽町の何気ない
日常を電子書籍としてまとめていく民俗学的な活動を開始したのでした。
きくりん人は継続的に菊陽町に入り込み、日常の記録に努めてきています。
卒論として取り組むようになり、さらにその動きが活発になりました。
先週も地域の小さな、ほんとに小さな微笑ましい夏祭りの取材をしてきたことは
ガリラボ通信で紹介した通りです(三里木巡礼記2012/7/28)。
ほんとに目だたない地味な活動です。
しかし、目だたないからこそ逆にその存在が強烈に私の目に映ります。
窓ガラスは自分自身が見えないことで価値があり、見えないことで、その存在を
主張します。
一方汚れた窓ガラスは、その存在が見えるものの、何の価値もありません。
汚れたグラスも同じです。
それらは、見えないからこそ価値がある。
この意味で、きくりん人は、菊陽町の日常を多くの人に透視させる窓ガラスの
役割を果たしているのではないかと思います。
本人たちにその意識があるかどうかは不明ですが、この通信を読み、改めて
その意義を理解してもらえれば思います。
デジタル時代の民族学者と言ってよいかもしれません。
きくりん人は今日も菊陽町の調査活動に赴いています。
菊陽町の大きな夏祭り(下記)が行われているのです。その取材です。
第37回菊陽町夏まつり
日時:平成24年8月4日(土曜日)16時30分~
場所:菊陽杉並木公園さんさん
主催:菊陽町夏祭り実行委員会
共催:菊陽町・菊陽町商工会・JA菊池菊陽中央支所

この祭りの取材もですが、大規模なアンケート調査も予定しており、
ゼミTに身を固めたきくりん人は今ごろ聞き取り調査と映像記録に
頑張っているだろうと思います。
下の写真は、きくりん人の4年(09)中島、松崎、志柿です。
4年(09)緒方が「暑さでやられとります」とツイートしてた写真です。
調査といっても本と大変だと思います。
有意義な調査データ持ち帰ってほしいと思います。

ところでお気づきでしょうか。
この写真を撮っているのはもちろん緒方です。
きくりん人が菊陽町の日常を捉える窓ガラスであるならば、緒方は
きくりん人の活動を透視する窓ガラスの役割を担っています。
緒方がいるから、様々な活動が私にも見える。
活動の結果だけでなく、ゼミ生たちの活動全体に興味のある私にとって、
結局、見えない窓ガラスが実は一番目立つポジションにいます。
透明な窓ガラス(=記録者)の存在。
活動していくには非常に大切なポジションとなります。
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