たまたま(ほんとにたまたま)糸井さんの次のコラムを見つけました。
糸井重里「なぜ、未来がそんなに不安なの?」2018/8/24 日経ビジネス
https://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/16/090600161/082100067/
なんとなく思っていたことが、言葉にされていて、しかも非常にシャープに記述
されていました。ゼミ生にも読んでほしいなと思い、紹介します。
日経ビジネスはユーザー登録すれば無料で全文を読めますが、面倒な人のために
私が気になった部分を抜粋しておきます。
(糸井)歴史を振り返れば、社会問題はどの時代もひっきりなしに起きています。
戦争はもちろん、中世のヨーロッパではペストやコレラといった疫病が
大流行して、多くの人々が死んだ時代もあったし、ジャガイモが輸入さ
れた途端に、人口が大幅に増えるという出来事もあった。
時代は常に社会問題に直面してきたわけで、今に始まったことではあり
ません。
じゃあ昔の人は、不透明な未来を予測して、今ほど不安になっていたの
かなと。そこまで未来を気にする必要があるのかと、疑問に思うわけです。
(Q)最近の風潮を見ていると、変化に対する人々の耐性が落ちているように思う
のですが。
(糸井)落ちている気がしますね。それはたぶん、生きていくのに精いっぱいだ
った昔の方が、“空が落ちてくる”といったこの世の終わりみたいな、余計
なことを考えなかったからじゃないですか。今、そんな話ばかりしている
人は、目の前の仕事が面白くなかったりする場合が多いようにも思います。
確かに今が充実している人だと、未来についてあまり不安に思うことはないような
気もします。実際に、そうなんでしょう。
だから、、
(糸井)「5年後、10年後、20年後はどうなっている?」と未来の問題ばかりを
考えても、不安で苦しいだけですよ。仮に予測が当たっても、そんなに
意味があることでしょうか。その“当たり”に関わらないまま生きていた
としても僕はダメだと思わないし、それほどひどい目に遭うとは思えな
いんですよね。
それよりは、「大切な自分の人生をどう生きていくか」に焦点を当てる
方が、ずっと大事だと思います。また、世の中から求められるものだっ
たり、自分や多くの人にとって大切な価値だったりする、その時々の
“当たり”を見定めていく方が大事だとも思う。平成であろうが飛鳥時代
であろうが、時代がどうであれ、核となる大事なことは、そう変わらな
いのではないでしょうか。
そうした「当たり」を見極めていくには、「感じる」ということを失わないこと、
「感じる」ことが失われると「考える」ことしかしなくなって、それではダメだ、と。
ただ「考える」ことも、「考えることさえしなくなっている」人よりは良いだのと
思いますが、それ以上に、ベースは「感じる」ことなんだと話されています。
それで「感じる」を失わないようにするにはどうすれば良いか? 糸井さんの考えは
次のとおりです。
(糸井)ほぼ日では「ほぼ日の学校」というシェイクスピアや歌舞伎、万葉集と
いった古典を学ぶコンテンツを提供しています。僕が学び始めて思ったの
は、偉人の哲学といった知が身につくと、生き方を考えるための武器にな
り、同時に他者への想像力を深めると思うんですよね。AIやIoTといったテ
クノロジーの話ばかりに視線を向けがちな今だからこそ、そうした人間の
礎となる部分の大切さを忘れてはいけないと思う。時代がどう変わろうが、
「人間って本来はこうだろう」みたいな。
私も思うんですよね。生き残ってきた古典というのはたぶんいつの時代にも重要な
ものなのだ、と。
そうした古典をしっかりと読んでいくことが、未来を切り開いていくための大事な
ツールになるのかもしれません。
ただ、最近は、忙しさを言い訳にして、今すぐに役立つ本ばかり読んでしまってい
ます。
切り替えねばと思いはするものの、忙しさを言い訳に使う自分がいて、なかなか・・・
<追加>
糸井さんの文脈とは異なるのかもしれませんが、「感じる」や「考える」という
ワードで有名なのは、一世を風靡したブルース・リーの次の言葉ではないでしょうか。
考えるな、感じろ。(Don't think! Feel!)
ブルース・リーとか、今のゼミ生にはもう知らないかもしれませんけど。^^;
ところで、「考えるな、感じろ」の有名なセリフの後は、
月を指差すのと似たようなものだ
指に集中するんじゃない。
その先の栄光が得られんぞ。
と続きますが、これがまた謎ですねぇ。この意味、どう「考え」ればいいのでしょう。^^
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