しかし、新卒として教員を目指すことはなさそうです。そんな感触でした。
本日目にした藤原和博さんのプレジデントオンラインの記事(2023/6/14)は、今の教員の姿が描かれていました。
一時期、倍率は軽く10倍を超えていた小学校教員が今は2倍程度、極端なところはそれ以下になっているところがあり、いわゆる全入状態に近いようです。
学校の先生とはあこがれの職業であったわけですが、どちらかというと、不人気職種になってしまったわけで、私が持っていた小学校の先生のイメージとはかけ離れてしまいました。
人としての土台を作るのに大学教員とかは(多分ほぼ)何の役にも立ちません。
土台はやはり、家庭はもちろんですが、幼稚園であったり、小学校の先生だと思います。
特に、「10歳の壁」として知られている、言語体系が確立される10歳ぐらいまでにどういった先生たちと出会うかは、かなり重要だろうと思うのです。
大げさにはその国のレベルを決めている可能性もあるように思うですが、その重要な時期を担う先生が不人気職種なっているというのは、かなり拙い事態なのかもしれません。
小学校の現場については、肌感覚としての変化は私には実感できませんが、大学であればその変化は強く実感しています。
小学校も変わったのでしょうが、大学もびっくりするほど変わりました。
県立大学に赴任して30年。
あの頃は大学は大学だったように思います。
学生も学生だった気がします。
ただ、変化は世の常。変化しない世の中はないわけですから、変化は拒否すべきものでもありません。
大学との関係も残りわずか。
卒業したら、あえて、時計の針を逆回転させて変化に少しだけ抵抗してみようかと思ったりしています。
ただ、そんなことを考えながらも、今日は授業準備の合間に「ブロックチェーン」とかの本を読みふけっておりました。
相互に信頼を持っていない人たちが集まるからこそすこぶる信頼の高いものを生成するというパラドキシカルな仕組みに驚かされました。
学びそのものはやはり面白いものです。
そのことは変化してはいないはず。