令和6年2月20日に挙行した(最後の)ガリラボ卒業式(ガリラボ通信2024/2/21)の際、ホワイトボードに4年(20)松岡ゼミ長が何やら書き加えています。
閉ゼミ式!
20ゼミ生の卒業は、津曲ゼミが終わることも意味します。
このため、最後の卒業式は、ガリラボの閉ゼミ式も兼ねました。
卒業式内で、ブランドに吊り下げられた(笑)ゼミ旗が降ろされ、私に返却されるという儀式では、ガリラボもこれで終わるんだという気分になっています。
そして、その気分にトドメの一撃を加えたのが次にサプライズでした。
最後のゼミ生20ゼミ生から私が卒業証書をもらったのです。
手のひらよりは少し大きい、小さめサイズの証書でした。
ガリラボからは253名の卒業生を送り出しました。
253人目が最後かと思っていましたが、20ゼミ生がそこにひとりを付け加えていました。
「津曲研究室の全ての課程を修了したことを証する」と書かれたこの小さな証書は、私(津曲)をガリラボの254番目の卒業生として、ここから巣立つようにとの意味でしょう。
県立大学で30年、ガリラボという研究室を立ち上げて約20年。
ここで253名のゼミ生と色々なことをやってきて、全国的にみてもかなり異色な研究室となりました。
2022年の社会人基礎力グランプリ全国大会で審査委員がガリラボを評してそういうったことを話され、なんとなく思っていたことが全国的にみてやはりそうなんだと認識しました。
全国的にも稀有な研究室だったわけですが、20年のゼミ生たちの取り組みは、自転車操業の連続でした。コロナ禍前は、帰宅は午後11頃が定時という生活でしたが、やり切った感はあります。
小さな証書にあった「全ての課程を修了」との言葉には感無量でした。
そして「共に未来に羽ばたく津曲研究室」には今後に向けての激励をもらえたように思います(20ゼミ生の気配りに深謝)。
小さな証書ですが、ガリラボの終わりを迎えるにあたり大事な証書となりました。
今までもらったどの証書よりも一番大切な証書となりました。
昨年の興津会のときに卒業生一同がプレゼントしてくれた感謝状の中に入れて自宅に飾っておきます。
約20年間でガリラボからたくさんおゼミ生が巣立っていきました。 みな、今はそれぞれの立場、おかれた場所で活躍しているようです。
ガリラボは、これら25名の大学院生と253名の学部ゼミ生がいて存在しました。
色々なゼミ生たちでした。
大学院は06ゼミ生から始まり、学部は03ゼミが始まり、ゼミ生以外にも多様な人たちが出入りしていたガリラボでした。このガリラボ通信のタイトルの下の説明には、
様々な人々が交差しコミュニケートする場としてのガリラボ。その日常を少しだけ描写していきます。
とあります。まさに色々な人たちの交差によって形成されていたのがガリラボでした。
無数の選択肢の中から半ば偶然にこの場所を選び、出会った人たちが、2年間あるいは2年半の間、様々な言葉を交わしながら総合管理学部棟3階のここで学生として過ごし、青春の思い出を作って別れていく。多様な人の交差が繰り返されてきた20年でした。3月末でそれが停止します。
停止に向け、20ゼミ生が戸締りをしっかりとやってくれました。
最後のゼミ生「20ゼミ生」は、3月21日の大学の卒業式を機に無限の未来へと羽ばたいていきます。