2024年2月21日水曜日

(最後の)ガリラボ卒業式を挙行

昨日、20ゼミ生の卒業式を行いました。

ガリラボで独自の卒業式を開催したのは16ゼミ生の時でした。
コロナ禍が始まったころで、全国で相次いで卒業式が中止になっていたのでした。
特に何か悪いことをしたわけでもない16ゼミ生に対して理不尽さを感じ、ガリラボ独自で送り出そうと決めたのでした。→ガリラボ通信2020/3/13
そして、第1回のガリラボでの卒業式を、後輩の17ゼミ生主催にて開催しました。
(初めての)ガリラボ卒業式を挙行ガリラボ通信2020/3/21

最後となるガリラボ卒業式には後輩がいません。なので、卒業する20ゼミ生自体がその準備もするわけで・・・、1人2役をやりました(最後ならでは、ですね^^)。

卒業式準備中の20ゼミ生(その1)
卒業式準備中の20ゼミ生(その2)
卒業式準備中の20ゼミ生(その3)
卒業式準備中の20ゼミ生(その4)

数日前から行っていた準備もすべて完了。

12:45 最後となるガリラボの卒業式開始
入場前に廊下で待機する20ゼミ生。もちろん、入場する会場には誰もいません。
独特の卒業式ですが、みんな明るい。

後輩がいないため、司会もいません。
が、さすがは20ゼミ生。司会をちゃんと用意していました。
なんと、司会は、式次第を掲示しているPCです!
AI音声による司会進行でした(なんとも現代風 笑)。

4年(20)松本による開式の辞。

4年(20)藤田、徳田によるゼミ旗掲揚。
ブラインドの紐を上手に使ってゼミ旗がしっかり掲揚されました。

卒業式のメインイベント。卒業証書授与。
1人目は4年(20)稲田。ガリラボ卒業生第242号となります。
そして最後の4(20)安田が第253号でした。ガリラボから253人の学部生を送り出したことなるわけで、その番号をみて、たいへん感慨深いものがありました。

次に教員からの式辞&祝辞。
いつもであれば送り出す卒業生には、卒業後もガリラボから応援していると話しているわけですが、もうそれは叶いません。ガリラボという場所が消滅するため、会うことも難しいでしょう。しかし、「みんなには津曲ゼミがある、津曲ゼミのつながりはずっと残るので何かあればそのつながりが味方になってくれるはずです」と伝えました。
そして、ある卒業生がある場所に書いていた感謝の言葉を紹介しているとき、いろいろな思いが込み上げてきてしまい、言葉に詰まってしまいました。
慌てて、卒業生から20ゼミ生にお祝いビデオメッセージを流しました。OG(19)川口が送ってくれたメッセージです(ありがとう)。
そして、昨年の興津会(ガリラボ通信2023/10/9)を主催した卒業生たちが20ゼミ生には素敵なプレゼントを用意してくれていました。全員に「20 Garilab」と刻印されたボールペンを贈ってくれました。
津曲ゼミの「つながり」は強力だと改めて思いました。「津曲ゼミ」は、弱い紐帯としてガリラボの卒業生にかなり力強いものを提供してくれるものと思います。

合唱「旅立ちの日に」
20ゼミ生全員で歌いました。私はその合唱を後ろで聞いていて、不覚にもまた涙が出てきてですね。今までそうしたことはほとんどなかったのですが、最後というのは人を感傷的にさせるようです。


4年(20)坂本と竹下によるゼミ旗後納。
その後、2人から私にゼミ旗が返却されました。

閉式の辞は、20ゼミ生を引っ張っていってくれた松岡ゼミ長からです。
松岡ゼミ長のリーダーシップのおかげでほんと助かりました。

最後に記念撮影。
この人たちとここガリラボで出会い、そしてまたここから送り出すことができて感無量です。



卒業式のプログラムを終えた後は表彰式等
20ゼミ生では活動のいくつかにポイント制を導入してきました。そのポイントの高い順に表彰しました。
1年間のポイントレースを制したのは4年(20)藤田でした。私のイラストの入った表彰状の発案も藤田です。なんとこのイラストもAIを使って描いたそうです。
卒業式の場ですが、若い世代はもう普通にAIを道具として使っていることを実感しました。

そしてひとりひとりから大学生の振り返りと社会人への抱負を語ってもらいました。
学生を終わり、学生であることをアンラーニングし、社会人としてのラーニングのスタートになってくれると嬉しく思います。

記念品贈呈。
贈呈といっても、20ゼミ生自身が手作りした、自分たちへのプレゼントで、卒業アルバムとDVDの2つが記念品となります。

DVDのタイトルは「ひのくに荘殺人事件~明かされる真実~」で、ガリラボのゼミ生のほとんどが経験したワークショップをドラマ化しものです。
20ゼミ生が卒論と並行して卒業制作として取り組んでいました。
並行していたせいで、進行速度はカタツムリ的だったようです。それで最後は、この卒業式の前、合宿をしたとのこと。道場の床に寝袋を着て寝ていたようで、徳田の寝袋姿をあとで見せてもらい驚きました。道場で一晩を過ごしたのはあの「史上最大の迷惑男OB(10)保坂」以来ではないかと思います。笑
最後が実に学生らしく、学生として実によい終わり方でした。

卒業アルバムも並行して作成していて、なんと、これは配布を予定して卒業式にギリギリ間にあったそうです。
表紙を開くと、ゼミ生の写真がでてきます。その後も、楽しいページが続き、やはりゼミで作るアルバムは面白いものです。
実は私も高校時代の(というか、私は高専の出身なので高専時代の)アルバムは手作りで、楽しいページや(今の言葉で言えば「やばい」)ページがあり、あれから45年が経った今見返しても楽しいアルバムです。

卒業アルバムに言葉を寄稿してくれという依頼が4年(20)松本からあり、寄稿したのですが、なんと裏表紙にでかでかと掲載されているではありませんか。驚きました。
硬めのことを書いていますが、もちろんそれだけでなく、明日はどうにかなるというリラックスさも同時に持ってほしいとも思っています。
やるだけやったら、後は開き直り「運を天に任せる」というのがこの言葉の意味だと私は解釈したいと考えてます。



20ゼミ生が最後の私のゼミ生で、そして最後までしっかりと活動してくれたことに感謝しています。
20ゼミ生の人生はこれからが本番。
幸せな人生となるよう心から祈ってます。






夜は新市街にある「月〇」でコンパ。

20ゼミ生との初めてのコンパ(前回は私がインフルで欠席)。ただ、今回も風邪のため前日病院だった私は、セーブしつつの飲み会でしたが、目の前のふたりはまあよく飲む。笑
楽しい飲み会でした。
プレゼントもらいました。見えにくいでしょうが、時計が描かれていて、6時5分をさしています。私の65歳の誕生日に渡そうと思っていたそうですが、間に合わずで・・ということだったそうです。笑
しばし自宅の私の部屋においているOG(15)八並のおばあちゃんからプレゼントして頂いた油絵の前に飾っておきます。