午後も雨だろうと思っていたので1日読むつもりでしたが、なんと午後だけ
雨が上がりました(テニス仲間に誰か行いの良い人がいるのでしょう)。
4時間ほどコートにおりました。ただいま、足が棒のようになっています。
さて、グループ・ダイナミックスについて読み、改めて活動理論を学び直し、その過程で
経験という牢屋の問題について考えてしまいました。
経験を深めることは仕事を効率よく処理できていくということですが、しかし
それは下手をすると自分の考えのフレームワークを固め、思考の広がりを失うことに
なっていくことにつながる可能性もあります。
経験から学ぶことは大切です。でもそれでは小さすぎるんです。
これは、前大阪大総長で、現在は京都市立芸術大学学長の鷲田さんが入学式の
式辞で使われていた言葉です(こちら)。
その大学の卒業生でアーティストの方の言葉のようです。
経験の問題は、一昨年、有名になった東京造形大学の学長式辞のメインテーマでも
ありました。そのことについてはガリラボ通信2013/4/14(「経験という牢屋」の
スピーチを読んで)で紹介したので記憶にあるゼミ生・卒業生もいるかもしれません。
こうしたことを踏まえ、卒業する11ゼミ生に向け3月、ガリラボのモットー「輝く知性は
行動なしには生まれない」だけど、卒業した後は「輝く知性は読書なしには生まれない」
へと変わるんだと話をしておきました。
社会に出た後の経験というものが視野を狭くしていくことを心配してのことでした。
いったん、視野が狭くなると、そのことに気付かなくなる-視野が狭いから。
もっとも、これは学生の時代であってもありることです。バイトなどしていると、それで
成長しているように感じるものですが、それは錯覚です。成長はあまり期待できない。
やはりそれでは狭すぎるのです。
(もっとも、勉強をしないのだったら、バイトぐらいはしておいた方が良いとは思いますが)
ガリラボの皆さんには是非、東京造形大学の学長式辞を読んでほしいと思います。
大学では現在教育改革が行われようとしています。
大学内の人たちは、みな教育問題の専門家と言えば専門家です。
このため、それぞれにそれぞれの主張を持っているのが普通です。
(そうでなかったら多分マズイ)
しかし、その多くは、私を含め、これまで培ってきた経験という牢屋のせいで、狭すぎる
視野で語っていることに気づいていない可能性があります。
大学の教員というのは、オリジナリティを求め、新しさを追求している人種なので、視野の
狭さとは関係なさそうですが、そんなことはなく、オリジナリティは自分の領域内のことであり、
視野はパラダイム論を展開したトーマス・クーンがパズル解きと比ゆ的に表現した「通常科学」
の範囲内に限定されています。
大学教員は通常科学というある種の牢屋に閉じ込められていると言ってよい。
パラダイムの転換ほどに強烈なものはないにしても、ある種の改革を進めていくのであれば、
一度、経験から自由にならないといけません。
経験の牢屋から自由になるための方法は、それまでの学びを捨て(アンラーニング)と新たな
学び(ラーニング)に向かっていくことでしょう。
多様な学びによって初めて人は自由な知を手にできる。
思考を1次元上げるだけで、それまでの拘束から大幅に自由になります!
【クイズ】
金庫内の現金を、金庫には触れずに抜き取ることが可能でしょうか?
なぞなぞではありません。理論的に考えてみてください。
先ほど、近くに置いていた中学生向けに書かれた本をたまたま手にしたら、鷲田さんが
「「賢くある」ということ」という文章を書かれていました。
昔もそうだったのかもしれませんが、今も、こうだからこうだという単純な思考回路の人が
多いと鷲田さんは言われる。
そうした思考ではなく、賢くならなければならないと書かれていました。
「賢い」というのはつまり「簡単な思考法に逃げない」ということだ。物事の理由は
簡単にはわからない。それを知り、受け入れようとすることが賢くなる第1歩なのだ。
(ちくまプリマーブック「何のために「学ぶ」のか」p.192)
たいせつなのは、問い続けることにある。(p.198)
「頭がいい」と「賢い」とはなんの関係もない。じぐざぐにいろいろな補助線を立てて、
誠実に考え続ける、「賢い人」になってほしいと心から願っている。(p.199)
グループ・ダイナミックスを私自身が改めて学び、大学の教育改革には経験論を越え、
考える自由を手にするため、この理論を深く理解していく必要性を改めて感じた日曜の
朝でした。
経験の呪縛から抜け出し、自由な発想に向かえるよう、勉強(Study)していきましょう!朝でした。
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