本日は大学評価関係の仕事で朝から東京に向かいました。
学生GPでお世話になった阿蘇くまもと空港にやってきたのは2月以来。
なんだか懐かしさを感じました。
飛び立ってすぐ目に入ってきたのが噴煙。眼下に阿蘇中岳がきれいに見えました。
肉眼でも噴火口をよく観察できました。収まるのはいつになるでしょう。
羽田から市ヶ谷に直行し、会議まで1時間ほど時間があったので、歩いて
15分ほどの靖国神社に生まれて初めていってきました。
神社の鳥居の先に、巨大で近代的なビルの法政大学が見えます。
アンバランスさ感、半端ないものでした。
この日は神社の例大祭とかで、地域の皆さんなのだと思いますが、はっぴ(?)姿の
方がたくさんおられました(年配の方々ばかりでしたけれど)。
大学にいてもガリラボを不在にしていることが多いので、出張してても
そうでなくもてあまり変わらないのですが、出張した時には、M2(14)吉村か
各学年のゼミ長かが様子を報告してくれるのが慣例となっています。
今日は吉村が報告してくれました。
今日は、
4年(12ゼミ生)
梅田、尾堂、嶋中、田中、丸野、村上、目代、山田
3年(13ゼミ生)
岩坂、上田、多賀、中村、藤村
が作業していたとのこと。
ワイワイ、ガヤガヤと楽しい創造空間になっていたようです。
そういえば昨日のことでした。梅田が次のことを言ってました。
4年になったらなかなか来なくなる、と。
そうなんですよね。単位を取ってしまうと、講義という理由がないので、理由がないときに
大学に来るのは非常に難しい。
ただし、その症状をほおっておくと、大学という知的環境から離れるので悲惨なことになります。
さらに重要なのが、そうなっていることに本人が気づかないという点。
まだ症状の出始めだったからでしょうが、梅田はそのことに気づき、とにかく毎日来ることに
したと言ってました。
このことは知的環境に触れるということだけでなく、もうひとつの意味で正しい。
用事があるから来るのでは、来る回数が減り、そうなるとさらに用事が減り、知的刺激とは
無縁になっていきます。
逆なんです←ここ、重要!
用事って、毎日来るから生まれる。
このことの意味、そしてその重要性がわかるでしょうか。
たまにしか来ない人に、重要な用事が発生することはありません。
たまにしか会わないのはお客さんであって、それは一緒に何かをやる仲間とは
なりにくい。
明日も、あさっても来ることがわかっているからこそ、大事なことを任せられる。
信頼感と言って良い。
そうやって用事が生まれていく。
営業とかも用事はなくても毎日出かけること(単純接触の反復)が重要だと言われます。
単純接触が持つ威力はことの外大きいものです。
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