先日、ガリラボ通信2015/9/9で、イレギュラーなことはレギュラな事態が安定してあって
初めて意味を持ち、この意味で、日々を淡々ときちんと繰り返していくことが真に大切で
あるといったことを書きました。
日々が繰り返される日常性の大切さは東日本大震災の直後でもよく言われました。
大震災は、退屈なほどにごく普通に暮らすことがいかに重要であったかを再発見した
事件でもありました。
9月10日の豪雨で茨城県の鬼怒川堤防決壊で大変な目にあっている住民の皆さんも
(少し時間が経ったら)きっと同じことを思われるのに違いないだろうと思います。
ところで、随分前に、「もう1度だけ普通に授業を受けたい!(ガリラボ通信2012/3/1)」と
いう通信を書いたことがあります。
第1高校の卒業式に来賓で出席させてもらったとき、代表の生徒の答辞に居合わせた
全員が涙したのです。生徒は、みんなと普通に過ごすことの大事さに気づき、それを答辞
として述べたのでした。
そこでふと思い出したのが黒澤明監督の「生きる」という映画。
1952年、私が生まれる前の映画ですから、もちろん見たことはなく、何かの本(何の本だ
ったかは記憶になく・・・orz)でその紹介を読み、日常性の問題をずっと考えている頃だった
ので、非常に感銘を受けたことを覚えています。
死に直面した公務員の生き方を通し、人間の真の生きがいとは何かを問いかけた作品です。
ストーリーは(長いですが)以下のような内容です。
映画「生きる(1952)」ストーリー
(Yahoo映画より)癌で余命幾ばくもないと知った初老の男性が、これまでの無意味な
人生を悔い、最後に市民のための小公園を建設しようと奔走する姿を描いた黒澤明
監督によるヒューマンドラマの傑作。
市役所の市民課長・渡辺勘治は30年間無欠勤のまじめな男。ある日、渡辺は自分が
胃癌であることを知る。命が残り少ないと悟ったとき、渡辺はこれまでの事なかれ主義
的生き方に疑問を抱く。
そして、初めて真剣に申請書類に目を通す。そこで彼の目に留まったのが市民から
出されていた下水溜まりの埋め立てと小公園建設に関する陳情書だった……。
(MovieWorkerより)某市役所の市民課長渡邊勘治は三十年無欠勤という恐ろしく勤勉な経歴を持った男
だったが、その日初めて欠勤をした。彼は病院へ行って診察の結果、胃ガンを宣告されたのである。
夜、家へ帰って二階の息子たち夫婦の居間に電気もつけずに座っていた時、外出から帰ってきた二人の
声が聞こえた。父親の退職金や恩給を抵当に金を借りて家を建て、父とは別居をしようという相談である。
勘治は息子の光男が五歳の時に妻を失ったが、後妻も迎えずに光男を育ててきたことを思うと、絶望した
心がさらに暗くなり、そのまま街へさまよい出てしまった。屋台の飲み屋でふと知り合った小説家とそのまま
飲み歩き、長年の貯金の大半を使い果たした。そしてその翌朝、買いたての真新しい帽子をかぶって街を
ふらついていた勘治は、彼の課の女事務員小田切とよとばったり出会った。彼女は辞職願いに判をもらう
ため彼を探し歩いていたという。なぜやめるのかという彼の問いに、彼に「ミイラ」というあだ名をつけたこの
娘は、「あんな退屈なところでは死んでしまいそうで務まらない」という意味のことをはっきりと答えた。
そう言われて、彼は初めて三十年間の自分の勤務ぶりを反省した。死ぬほどの退屈さをかみ殺して、
事なかれ主義の盲目判を機械的に押していたに過ぎなかった。これでいいのかと思った時、彼は後いくばくも
ない生命の限りに生きたいという気持ちに燃えた。その翌日から出勤した彼は、これまでと違った目つきで
書類に目を通し始めた。その目に止まったのが、かつて彼が付箋をつけて土木課へ回した「暗渠修理及埋立
陳情書」であった。やがて勘治の努力で、悪疫の源となっていた下町の低地に下水堀が掘られ、その埋立地
の上に新しい児童公園が建設されていった。
市会議員とぐるになって特飲街を作ろうとしていた街のボスの脅迫にも、生命の短い彼は恐れることはなか
った。新装なった夜更けの公園のブランコに、一人の男が楽しそうに歌を歌いながら乗っていた。勘治であっ
た。雪の中に静かな死に顔で横たわっている彼の死骸が発見されたのは、その翌朝のことであった。
映画自体は見ていないのですが、作品の考え方を通して、日々をどう過ごしていくのか、深く
考えさせられます。
イレギュラーなイベントの時だけ頑張るのではなく、日常的に、目の前の、一見すると退屈に
思える仕事ややるべきことに対し、持っている能力のしっかりと出し切って処理していくことが、
生きていく上で大変大事なことなのではないかとこの映像によって黒澤明監督は訴えたのでした。
非常に共感しました。
ただし、共感はするものの、その難しさも同時に理解しています。
日常をきちんと生きていくのは非常に難しい。
映画の公務員も特殊な状況に立たされてからそれに気づいたわけで、そうでなかったら、
気づかないままだったでしょうから。
実行するには難しいですが、生きていく上で、そういった視点があることをこの映画を通して
学んでおくのは損ではなさそうです。
私などは、ゼミ生から比べると余命幾ばくもないわけです。
なので、余計に真面目に日々を生きていかねばと思っています。^^;
ところで、ガリラボの日常というと、多くのゼミ生がやってきて「あーでもないこーでもない」とか
「こーうしよう、あーしよう」と言いながらそれぞれのやるべきことを進めています。
あるプロジェクトをやっている時期だけ、また必要なときにだけ顔を出すというゼミ生もいて、
それはそれで何か日常を持っているのでしょううが、ガリラボをホームとして、ここを日常として
過ごしているゼミ生もいます。
今だと、M2(14)吉村、4年(12)田中、目代、丸野、嶋中、尾堂、梅田、村上とかが思い浮かびます。
まだ4年生だけですね。
映画「生きる」の問いかけから推測すると、学生時代であれば学生である日常をきちんと生きて、
学生であることを深めていくことが良いのだろうと思います。
そうすることが、要するに、今ここにいる、存在している意味を作り出しているように思うからです。
人が幸福を感じる条件とは3つあることを前にガリラボ通信で紹介しました。
3つの条件とは「人との交わり」「親切心」「いまここにいること」です。
詳しいことについては<ガリラボ通信2014/1/4>で紹介しています。是非、読んでみてください。
映画「生きる」で公務員である主人公が最後になって公務員として仕事を全うするというのは、
特に3番目の「いまここにいること」という条件を満足するための行動であったと解釈することも
可能かもしれません(その行動を通して残り2つも満足されていったようにも思います)。
学生の場合、学生らしいことを全うするといっても、色々なやり方があるのだと思います。
ひとつのやり方として、ガリラボという研究室で日常を過ごすことは学生らしいひとつのやり方で
あろうとは思います(私の学生時代は、完璧にそんな感じでした)。
金曜日の夜は、日付が変わる頃まで、もやいすとの講義準備ついてM2(14)吉村、4年(12)田中と
かなり真剣に打合せを行っていました。
いい加減な計画だとひどい状態になることが明らかなので、3人ともかなり真剣です。
大変に思うでしょうが、それは全く違います。
いまここにいることの実感が非常に強くなり、日常をしっかりと生きている。
だから、心の奥底では、実は楽しい(だから遅くまで真剣にやれるんです)。
その時、私は教員であることを、ゼミ生たちは学生であることを全うしているように思うのです。
いつまでこうした日常が続くかはわかりませんが、可能な限り、その日常を全うしていきたい
ものです。
しかし、今のメンバーとはどんなに遅くとも来年の3月にはその日常は終わりを迎えます。
仕方ないことです。
だからこそ、それまでは、平日は毎朝8時前にはオープンし、そして夜の23時前に閉店する
という日常を繰り返す、普通のガリラボであり続け、その空間において「いまここにいる」という
状況を強く感じていけるように努力していきたい。
秋の気配を感じ始めたからでしょうか、なんとなく哲学っぽいことを考えてしまいました。
あ~~!!!
そういえば、最近は夜の講義(哲学談義≒お説教)をしていない。。。。
「夜の講義」で検索すると、6月ぐらいにやったのが最後のようです。
それも、M2(12)吉村と12ゼミ生ばかりですね。
13ゼミ生にはそういった機会がないようです。
残念。
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