15日という・・・なんなることでしょう。
8月15日はたまレンジャーの鍋松原海岸での撮影の日でした。
まさか、台風とは。。orz
15号の接近のため急ぎスケジュールの再調整でした。この日を外すと
8月下旬公開は厳しいと思い、台風の進路と雨雲の移動予想を注視しつつ、
午後だったら可能だろうと判断。
午前の予定を午後にシフトさせることにしました。
そうすると、関係者のスケジュールの再調整が必要となります。
果たして集まれるだろうかと心配でしたが、市役所側にも迅速に動いてもらい
スケジュール調整ができて午後1時からどうにか開始できることになりました。
(ただし一部の撮影はキャンセル)
もっとも台風次第ではそれも無理になるかもしれませんけれど・・・。
早く、過ぎ去ってほしい(切実)。
台風の心配もですが、実はまだ撮影の準備(小道具作り)が終わっておらず・・・
午後、4年(14)塘添と(15)宿利が出てきて指揮棒づくりとビーチフラッグ
づくりでした。
指揮棒のモデルは完成。これがまたここに物語が生まれました。
添え木を黒く塗ると塘添が話していて、それを水彩絵具でやるというので、そんな
のはダメだ伝えました。やるなら油性でやるべき、と。
しかし油性絵具がすぐに手に入るわけではありません。明日が撮影ですから。orz
それで、研究室内の在庫を探し回って見ました。
見つけたのが「黒い」製本テープ。
結果的にこれが素晴らしい働きをして、(模擬)指揮棒を塘添が完成させました。
こういう、ありあわせのもので作業を進め仕事ができる人たちを器用人(ブリコ
ルール)と呼びます。
救世主となった製本テープは、OG(10)吉村とOB(10)保坂が、鍋松原海岸での海開き
ポスター作成のためラーニングキャンプと称するイベントを企画したとき、保坂が作った
「しおり」を製本するために買い増したものでした(ガリラボ通信2013/6/23)。
保坂ほど歴代のガリラボ生の中で突出したブリコルールはいません。
その部リコールールが残していった遺物が、まさか5年後に、今回の鍋松原海岸での
撮影に活かされることになるとはですねぇ・・・。
因縁を感じます。
因縁といえば、このキャンペーンのポスター原案を作ったのは吉村でした。
同じく救世主となったたまレンジャー・ゴールドです(ガリラボ通信2018/8/1)。
ひょとすると5年前のこの2人の卒業生の活動に、今回の活動は導かれているの
かもしれません。
・・・いや、そんなことはないですね。単なる偶然だと思います。笑
出来ましたと17時ごろ宿利が持ってきて、「こっちは何も書いてない方です」と
言うではありませんか。一瞬、「????」となりました。
「なんで書かないのだ」と聞いたら「遠いのは見えないから」とのこと。
それは違う。書いてあるのが識別できなくても、書いてあるのか書いてないのかは
わかるわけで、そのあたり「神は細部に宿る」感覚の欠如に、久方ぶりに激怒して
おきました。
「今日、帰れるかなぁー」と心配しながら、再度作業に戻っていった宿利でした。笑
19時にすべて終わりました。
4年(15)八並の作った持っていくものリストに従って、機材を整理し、準備終了。
明日は晴れるといいですね。
平野さんがお土産を持って。明日のたまレンジャーの撮影は別件の地域振興課の
撮影はてっきり平野さんが関わっていると思ったらまったく別だったようです。
明日は平野さんはいないとのこと。残念。orz
今朝、私は宮崎から帰ってきました。一応、お土産を持って。
たまレンジャーと市役所とのLINEグループで色々とやりとりをしながらの
道中でした。宮崎の海岸線を通るとき、見た風景で
宮崎の海岸、天気晴朗なれど波高し。台風の影響のようです。
とLINEグループに書いたのですが、全員が既読スルー。
他者から反応(共感)をもらうというのは非常に難しいものです。
指揮棒紛失事件とは、他者に玉名への反応(共感)を生み出すために行っている
活動です。その難しさは、かなりの高いレベルだと思っています。
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