2011年4月12日火曜日

初めての家庭訪問

本日のガリラボの様子は後で書くことにして、家庭訪問の話を。

本日は夕方より、4年(08)長井のアパートに家庭訪問に出向き
ました。

 

GPA2.0未満とか、ゼミを休みがちだからとか、反抗的だからとか
もちろんそういった意味の家庭訪問ではありません。

保護者の方がご覧になっているといけないので、彼の名誉のため
強調しておきますが、すべて反対ですので、どうぞご安心ください。
まったくといって良いほど問題などありませんので。
単位もゼミだけ残して全て修得を終えたようです。

ただ、苦言を一つだけ言えば、私が行くのですから、少し部屋を片
付けておいてくれると良かったですねぇ・・・
 
冗談はさておき、もちろん目的は家庭訪問ではなく、訪問の目的は
ゼミ新聞のインタビュー取材を受けるためでした。
 
彼らが3年の時、余計なことを私が口走ったのがこういった訪問の
機会をつくる原因になったのですが、取材とは、
 
  どこでインタビューするかで内容は変わるのだ

と、「場所の力」のことを強調して話していたようです。

優秀な長井はそのことを(そのことだけを)、(忘れていいのに)不
思議と(無駄に)覚えており

  ならば、面白いインタビューをやりたいので、私のアパートで、
  パスタを食べながら・・・・

との驚きの「場所の力」を提示したのでした。

自分で言った手前、断れるはずでもなく、ゼミ新聞部長の川崎と
ともに長井のアパートへ。
 
到着後、彼はせっせとパスタを作ってくれました。
驚きました。
見た目がすごい。
さらに驚きました。
意外に美味しい(部屋は汚いのに)。

あっという間に食べ終わりました。

御馳走様でした。

90分ほどのインタビューでしたが、個人的には場所の力は
あまり発揮することもなく終わったように思います。orz
 
しかし、せっかくの機会なのでパスタのお礼を兼ねて、私の
貴重なアイデアを提供してきました。
 
立派なバイクを持っているのだから、ダイナミックに行動して、
卒論のテーマとかは、福島の惨状をその目で見てきて、ルポ
風にやってみてはどうかと提案してきました。
 
今すぐに決めることはありませんが、指導教員のこの心優しい
アドバイスを、彼がどう受け入れていくのかゆっくりと見守りたい
と思います。 
   

それにても学生のところの家庭訪問などの生まれて初めての経
験でした。
しかも、男子学生手料理のパスタまで食べさせてもらうなど貴重
な体験であったと思います。

----------
さて、本日のガリラボは、午前中は誰も来ず、非常に静かでした。
お昼に4年(08)ゼミ長たちとのランチミーティング。
戸高、大塚、坂本、谷口に、岩本が飛び入り参加しての爆笑会
議でした。
大塚メモに残っているので大丈夫のはずですが、笑ってばかりで
決まったことは記憶から飛んでおります。

14:30からはMOREの3年生たちの会議に参加してきました。
いくつかのアイデアが話し合われていました。
特に、白亜祭に向けて何かやっていくことでまとまっていったよう
に思います。
今後の展開がどうなるのか楽しみです。
 
16:00過ぎに研究室に戻ると岩本と大塚がまだ作業をやって
おり、しばらくしてM1(11)冨田、M2(10)松尾が顔をだし、少し雑談。
意外でしたが、松尾がガリラボに顔を出したのは久しぶりのこと
でした。
 
 

2011年4月11日月曜日

授業開始初日の動き

記念すべきことで、この投稿でなんと「777」回目となります。
どうでも良いことではありますが、とりあえずメデタイ。
ガリラボで現在(22:00頃)、一人でひっそりと祝っております。
記念写真でもアップしたいところですが、残念ながら本日は
特に写真は撮っておりません。


さて、前期授業開始日となった本日はガリラボは大変な混雑
状況でした。

まず、私が到着するためには3年(09)村中がいたのは、この
ひとつ前のブログで書いた通りです。
村中が授業に行った後には、3年の市川がやってきました。
何らかの作業をしておりました。

10:00を過ぎ、講義を受けてきた(?)4年(08)大塚がやって
きました。
久しぶりです。1週間ぶりぐらいでしょうか。
たった1週間ですが、たいへん懐かしく思えたのでした。

少しして4年長井が登場。
周囲を邪魔をしていようですが、多少は何かの作業をしていた
ようです。
昼に3年(09)緒方が登場。
昼食を摂っていました。


12:50から院の講義(情報社会論)。
ガリラボのM1(11)白樫、冨田が受講しています。
本日はガイダンスだけで終了。

直後、4年(08)岩本が登場。
同じく4年の松永も登場。
3年の草原も登場。

ところで、岩本は冨田がガリラボにいるのを見て、驚いたのだ
そうです。
驚いた理由については本人に聞いてみましょう。

実験室(ガリラボ道場)では2年のMOREのメンバーが打ち合わ
せをしたのですが、打ち合わせを終えて2名がガリラボにやって
きて作業を始めたときには、人口密度はピークになっていたよう
に思います。
人をかき分けて歩く・・・そんな感じでした。

14:30-18:00まで会議で不在にしており、ガリラボに戻ると
3年の村中がブログを書いているようでした。
その邪魔をすることを承知の上で、明日行う予定のMORE(3年
生)との打合せについてのレクチャを受けました。
結局、20:30頃まで打合せとなりました。

桜だより~開花22日目(最終回)

大学は本日が平成23年度の講義初日となります。
 
ツマガリザクラは今日で開花22日目を迎えました。
いつ満開になるかと期待しながら撮影してきたましたが、先週末で満開となり、
ピークを過ぎたツマガリザクラは見た目にも青葉が目立つようになってきました。
 
青葉が桜の枝を占拠し始めています。

桜の木の下には散った桜で桜の絨毯ができています。
イチョウの落葉のような絨毯ではありませんが、ピンクの幸せの絨毯だと
思い、しっかりと踏みしめてから3階のガリラボに上がりました。
ガリラボに到着したら、なんと3年(09)村中がすでにもう来ており、驚きま
した。

(ちょっと荒い)ピンクの絨毯の横には菜の花がありました。
なんでこんなところにあるのでしょう?
わずか、数本ですが、その寄り添って咲く姿に健気さを感じた4月11日の
朝でした。

 
さて、本日は月と日だけ書けば、

  411

となります。
311の東日本大震災から1ヶ月が経過したことなります。
ところで、多くにみなさんが気づいている通り、
 
  117

  911

と日本のそして世界の思想や枠組みを変えた出来事あった日付には、
「11」がついております。
 
117は阪神淡路大震災の日です。この日を境に日本にボランティア
であるとか、NPOであるとか、そういった非営利に思想が普及して
きたと言われています。
911はニューヨークテロの日。この日から、国際的な枠組みが大きく
変わったのはもう当たり前すぎる事実です。

ひと月前、この「11」シリーズのラインナップに

  311

が追加されたわけです。

311もこれまでの「11」と同様きっと日本の国の考え方や枠組みを大きく
変えていくでしょう。
地震に加え、津波に原発と117よりも遥かに衝撃が大きく、現代の価値観を
根底から揺さぶられるものでした。
いくつかあるでしょうが、ひとつには、科学技術教という現代的価値が今後大
きく問われていくのではないかと予想しています。
 
さてしかし、そんな大きな問題をここで書く時間も能力もありませんので、
これでやめようと思います。

とりあえずは、目を足元に向け、今日411から始まる講義に全力投球したいと
思います。
ただし、準備不足でちょっと心配してますが。(T_T)
 
 
追伸
無事に満開の桜まで見届けたので、ツマガリザクラのガリラボ通信での
写真中継は本日で終了します。
  

2011年4月9日土曜日

共感の時代に

ソーシャルメディアの普及は、「あ、そうそう、ほんとそうだねー」といった
共感がつながる時代を生み出しているようです。

(注)つながる、は前からの私のネット上のペンネーム。KW塾もこれを意識していまし
   たし、Facebookでは Kakashi Tsunagaruと いう名称を使っています。
   ガリラボという空間自体が「つながり」を意識している場所です。


さて、ソーシャルメディア時代の現代、そしてこれからの情報の流れは、

Sympathize/共感する→Identify/確認する→Participate/参加する
→Share&Spread/共有・拡散する

とモデル化され、頭文字をとってSIPSと名付けられています。
電通のグループによって開発されたモデルです。
大変共感させられたモデルでした。

ソーシャルメディアを通して流れて行く情報が今後減ることはなく増え
て行くことを想像すれば、すべてがこのモデルではないにしろ、情報
の流れを考えていくのにこのモデルは重要になっていくでしょう。

漠然とですが、新しい情報というのをツイッターのライムラインでフォ
ローしている個人が発した情報によって知ることが多くなったように感
じています。

新しい情報の接触点としてツイッターが機能し始めている。

私もそんな印象を持ち始めていますが、ソーシャルメディア時代とは、
これまで新しい情報の提供元であったマスメディアに大きな意識変革
を迫っていると言ってよいでしょう。
私たちは、メディアにおける革命の真っただ中にいるのだと思います。


さて、震災後に書かれた村上龍の次の記事を知ったのもツイッターか
らでした。

危機的状況の中の希望
http://www.timeout.jp/ja/tokyo/feature/2581/

この中に今後のメディアの大事な役割が図らずも書かれていますが、
それよりも、記事内の

   私が10年前に書いた小説には、中学生が国会でスピーチする場面がある。
   「この国には何でもある。本当にいろいろなものがあります。だが、希望だけがない」

という小説(「希望の国のエクソダス」村上龍著/文藝春秋)内の一言に
考えさせらました。

このシーンは小説の中で、内戦中のパキスタンで発見された16歳の
日本人少年に報道関係者が聞いた設定になっているようです。
銃を抱えた少年に報道関係者が聞きます。

   「なぜここに君がいるんだ?」
  「この先の谷には数万発の地雷が埋まっていて、誰かが除去する
   必要がある、われわれの部族はそれをやっている」
  「日本が恋しくはないか?」
  「日本のことはもう忘れた」
  「忘れた? どうして?」
  「あの国には何もない、もはや死んだ国だ、日本のことを考える
   ことはない」
  「この土地には何があるんだ?」
  「すべてがここにはある、生きる喜びのすべて、家族愛と友情と尊
   敬と誇り、そういったものがある、われわれには敵はいるが、い
   じめるものやいじめられるものがいない」

こういった会話が小説内にはあるようです。
もちろん極端な例ではありますが、多少ですが、この意味が実感として
理解できます。

職業柄、多くの学生たちと接することが多いわけですが、話をしていると、
自分探しをせざるをえないニヒリズムの時代を感じざるをえません。
何を目標にしているのかよく分からない、社会自体が希望を失ってしまっ
た時代であったから当たり前です。

しかし、

  だが、全てを失った日本が得たものは、希望だ。大地震と津波は、
  私たちの仲間と資源を根こそぎ奪っていった。だが、富に心を奪わ
  れていた我々のなかに希望の種を植え付けた。だから私は信じていく。

と上記記事の最後を村上が結んでいるように、震災で何かが変わりました。
そう思います。
どうでしょうか?

これまでは「しがらみ」「カベ」などでできなかったことができて、新しい社会を
開ける可能性(希望)が生まれるのではないかとそういったこと言っている人
たちがでてきています。
たとえば、

今回の災害を乗り越えた先には、新しい社会が待っているような気がする
http://blogs.itmedia.co.jp/mm21/2011/03/post-27a9.html

といったブログを見つけました。
これを読むと、新しい社会(=希望)が待っていることを予感させられます。
このブログを書かれた方は、

  今回の災害を乗り越えた先には、今までやりたくても、様々な見えない壁が
  阻んでできなかったことが、壁が崩れたことで実現できる、全く新しい社会が
  待っているような気がします。
  そして、それを作るのは、他ならぬ私たちです。


と結んでおられます。

具体的な例ですが、たとえば50Hzと60Hzの違いの解消も震災前
だったら議論されることさえあり得なかったことが、今だったらでき
そうな気がしないでもないですしね。


20歳の学生が社会に対してほんとに力を発揮していくのは30歳を
過ぎてからでしょう。
10年後です。
その時に真の力を発揮できるよう、力を蓄えていってほしい。

来週の月曜から授業開始。
08、09の学部ゼミ生、10、11の院生の新しいガリラボでの活動が
始まります。

目先でなく、10年先の自分を想像しながら、しかし足元を見ることを
忘れることなく目の前の課題を真剣に取り組んでいく、そういった姿
勢で取り組んでほしいと願っています。


最後にもうひとつ。

サントリーのサイトに

  3月11日の東日本大震災後、日本が明日に向かって前進するためにサントリー
  グループとして何かメッセージをお届けすることはできないか。
  そこで、弊社の広告宣伝にご登場いただいている方々のご協力をいただき、希
  望の歌のバトンリレーを行うことで、少しでもたくさんの人の気持ちに絆の和を広
  げていくことが出来ればと考えました。
  日本中で幅広く愛されている名曲『上を向いて歩こう』『見上げてごらん夜の星を』
  の2曲を、ご厚意で参加いただいた総勢71名の皆さん一人一人が、心を込めて歌
  い上げてくださいました。

とのメッセージとともに、71名の方々の歌のリレーが映像がおいてあります。

http://www.suntory.co.jp/enjoy/movie/d_s/880953901001.html

サントリーからのメッセージを重ねながら映像を見て、感動しました。
手はすぐにキーボードに。
もちろん、すぐにツイートしました。
これこそが、SIPSモデルの開始点「共感(Sympathize)」に他なりません。


(引用)
危機的状況の中の希望
村上龍

先週の金曜、港町・横浜にある我が家を出て、午後3時前、いつも行く新宿のホテルにチェックインした。普段から私はここに週3~4日滞在し執筆活動やその他の仕事をしている。

部屋に入ってすぐに地震が起きた。瓦礫の下敷きになると判断し、とっさに水とクッキー、ブランデーのボトルをつかんで頑丈な机の下にもぐりこんだ。今にして思えば、高層30階建てのビルの下敷きになったらブランデーを楽しむどころではないのだが。だが、この行動によってパニックに陥らずにすんだ。

すぐに館内放送で地震警報が流れた。「このホテルは最強度の耐震構造で建設されており、建物が損傷することはありません。ホテルを出ないでください」という放送が、何度かにわたって流された。最初は私も多少懐疑的だった。ホテル側がゲストを安心させようとしているだけではないのかと。

だが、このとき私は直感的に、この地震に対する根本的なスタンスを決めた。少なくとも今この時点では、私よりも状況に通じている人々や機関からの情報を信頼すべきだ。だからこの建物も崩壊しないと信じる、と。そして、建物は崩壊しなかった。

日本人は元来“集団”のルールを信頼し、逆境においては、速やかに協力体制を組織することに優れているといわれてきた。それがいま証明されている。勇猛果敢な復興および救助活動は休みなく続けられ、略奪も起きていない。

しかし集団の目の届かないところでは、我々は自己中心になる。まるで体制に反逆するかのように。そしてそれは実際に起こっている。米やパン、水といった必需品がスーパーの棚から消えた。ガソリンスタンドは枯渇状態だ。品薄状態へのパニックが一時的な買いだめを引き起こしている。集団への忠誠心は試練のときを迎えている。

現時点での最大の不安は福島の原発だ。情報は混乱し、相違している。スリーマイル島の事故より悪い状態だがチェルノブイリよりはましだという説もあれば、放射線ヨードを含んだ風が東京に飛んできているので屋内退避してヨウ素を含む海藻を食べれば放射能の吸収度が抑えられるという説もある。そして、アメリカの友人は西へ逃げろと忠告してきた。

東京を離れる人も多いが、残る人も多い。彼らは「仕事があるから」という。「友達もいるし、ペットもいる」、他にも「チェルノブイリのような壊滅的な状態になっても、福島は東京から170マイルも離れているから大丈夫だ」という人もいる。

私の両親は東京より西にある九州にいるが、私はそこに避難するつもりはない。家族や友人、被災した人々とここに残りたい。残って、彼らを勇気づけたい。彼らが私に勇気をくれているように。

今この時点で、私は新宿のホテルの一室で決心したスタンスを守るつもりでいる。私よりも専門知識の高いソースからの発表、特にインターネットで読んだ科学者や医者、技術者の情報を信じる。彼らの意見や分析はニュースではあまり取り上げられないが、情報は冷静かつ客観的で、正確であり、なによりも信じるに値する。

私が10年前に書いた小説には、中学生が国会でスピーチする場面がある。「この国には何でもある。本当にいろいろなものがあります。だが、希望だけがない」と。

今は逆のことが起きている。避難所では食料、水、薬品不足が深刻化している。東京も物や電力が不足している。生活そのものが脅かされており、政府や電力会社は対応が遅れている。

だが、全てを失った日本が得たものは、希望だ。大地震と津波は、私たちの仲間と資源を根こそぎ奪っていった。だが、富に心を奪われていた我々のなかに希望の種を植え付けた。だから私は信じていく。


2011年4月8日金曜日

ゼミ新聞の意義

本日は新2年生、3年生のオリエンテーションの日。
久々にたくさんの学生たちが大学にやってきていたはずです。
 
ただし、残念なことに、ここ3階のガリラボにいるとその辺りは
全く分かりません。
 
学園祭をやっているときでさえ、気づかないほどガリラボは大
学の中心から離れた場所におかれています。
 
そんな辺境の地にあるガリラボですが、それにも負けずやっ
てくる学生はおります。
 
今日は、MOREの学生が10:00からガリラボ道場にて打合
せをしていたようです。
同じころ、久しぶりに4年(08)谷口がやってきてお弁当(10時
過ぎだったので早弁というのだと思います)。
 
お昼に3年(09)村中、中島などMOREの学生たちがガリラボ
に戻ってきて昼食をとっていました。
 
私はというと、第1高校の学校評議員を引き受けたこともあっ
て高校の入学式に出席してきました。
開式前の合唱部のコーラスは見事でした。

帰宅後、図書館前で偶然に4年(08)矢田と遭遇。
そのまま二人でガリラボへ。
 
矢田はもちろんゼミ新聞についての作業です。
10回目の記念号を作っている関係で、これまでの1~9号
を読み直したそうです。

面白いと言ってました。
Webの駅サポートチームができた理由、えびちゃんがOG(06)
藤本の手によるものなど新鮮な発見だと言ってます。
 
やっぱり、そうなんです。
こういったものは記録していくことが大事なんですね、やっぱり。
記録とは、後になって価値が増大していく場合が多い。
 
新聞記事も、熊日なども1ヶ月以内のやつは無料で読めても、
それ以前の過去の新聞は有料になります。
新聞とは新しいニュースを届けてくれるメディアでもありますが、
実は過去の情報を記録するメディアという意味もあるんですね。
 
年に3回ほどこれからも継続的に発行するならば、私がこの大
学を無事に最後まで在籍した場合、これから30回ほど発行する
ことになります。
となると、ゼミ新聞40号ぐらいが最終号になる計算になります。
 
先の長い話ですが、もしもそこまでゼミ新聞が継続できていれば
過去の新聞群はガリラボの歴史をアーカイブする貴重な資料と
なっているだろうと思います。
 
もしも卒業後、しばらくしてからその学年の同窓会などをする場合、
当時のゼミ新聞を配布したりすれば、当時が思いだされ、話が弾
むことになるかもしれませんねぇ。
なお、ゼミ新聞だけでなく、3年前に始めたコミュニケーションノート
も同様の価値を持っているでしょう。
3年前のノートを引っ張り出して読むと、なかなか面白い。
 
矢田の感想を聞いて、ふとそんなことを思いました。
ところで、ここに書いたような内容を10号記念号となるゼミ新聞に
掲載してくれないかな。
スペースあるかな?
ゼミ新聞部部長の川崎さん、いかがでしょう?
  
----

というところで引き上げようと思っていたら、OG(04)井口が
やってきました。
下のお菓子(シュークリーム)を持参して。
すでに食べた後の写真ではありません。
中コンで食べてきたらしく、余った3個とのことです。^^;
 

その3個を物色中の4年(08)矢田です。
 
で、あちこちに飛びながら、3人で、結局22時過ぎまで
色々なことを話したのでした。
 
 

桜だより~開花19日目

雨の朝になりました。
昼にかけて強く降る予報。
さて、満開のツマガリザクラはどこまで持ちこたえるでしょうか?
 
環境共生棟前の桜並木も大変綺麗です。
クローズアップ。
本日は背景は、青空ではなく白いキャンバスになっております。
Lsize

本日は在学生(新2年、3年生)のオリエンテーションです。

今日も頑張りましょう!
 
 

2011年4月7日木曜日

わずか3人

今日はほんとに顔を出したゼミ生が少なかった。

お昼に3年(08)村中がやってきて、少し話したのち
新入生オリエンテーションに出かけていきました。
 
午後に新しく院生となったM1(11)冨田が顔をだしました。
入学式以来でしょうか。
 
16時過ぎに村中が戻ってきて話をしていたら、18時過ぎに
OG(06)小出がひょっこりと顔をだしました。
後輩と食事の約束したということで大学にやってきたようです。
19時前には去っていきました。
 
それよりまた村中と話しながら20時過ぎに終了。

その後作業をしていた村中は21:30頃に帰宅しました。

いや、今日は閑散としていたガリラボでした。
ま、たまにはこういう日もないとですねぇ。