2011年4月8日金曜日

ゼミ新聞の意義

本日は新2年生、3年生のオリエンテーションの日。
久々にたくさんの学生たちが大学にやってきていたはずです。
 
ただし、残念なことに、ここ3階のガリラボにいるとその辺りは
全く分かりません。
 
学園祭をやっているときでさえ、気づかないほどガリラボは大
学の中心から離れた場所におかれています。
 
そんな辺境の地にあるガリラボですが、それにも負けずやっ
てくる学生はおります。
 
今日は、MOREの学生が10:00からガリラボ道場にて打合
せをしていたようです。
同じころ、久しぶりに4年(08)谷口がやってきてお弁当(10時
過ぎだったので早弁というのだと思います)。
 
お昼に3年(09)村中、中島などMOREの学生たちがガリラボ
に戻ってきて昼食をとっていました。
 
私はというと、第1高校の学校評議員を引き受けたこともあっ
て高校の入学式に出席してきました。
開式前の合唱部のコーラスは見事でした。

帰宅後、図書館前で偶然に4年(08)矢田と遭遇。
そのまま二人でガリラボへ。
 
矢田はもちろんゼミ新聞についての作業です。
10回目の記念号を作っている関係で、これまでの1~9号
を読み直したそうです。

面白いと言ってました。
Webの駅サポートチームができた理由、えびちゃんがOG(06)
藤本の手によるものなど新鮮な発見だと言ってます。
 
やっぱり、そうなんです。
こういったものは記録していくことが大事なんですね、やっぱり。
記録とは、後になって価値が増大していく場合が多い。
 
新聞記事も、熊日なども1ヶ月以内のやつは無料で読めても、
それ以前の過去の新聞は有料になります。
新聞とは新しいニュースを届けてくれるメディアでもありますが、
実は過去の情報を記録するメディアという意味もあるんですね。
 
年に3回ほどこれからも継続的に発行するならば、私がこの大
学を無事に最後まで在籍した場合、これから30回ほど発行する
ことになります。
となると、ゼミ新聞40号ぐらいが最終号になる計算になります。
 
先の長い話ですが、もしもそこまでゼミ新聞が継続できていれば
過去の新聞群はガリラボの歴史をアーカイブする貴重な資料と
なっているだろうと思います。
 
もしも卒業後、しばらくしてからその学年の同窓会などをする場合、
当時のゼミ新聞を配布したりすれば、当時が思いだされ、話が弾
むことになるかもしれませんねぇ。
なお、ゼミ新聞だけでなく、3年前に始めたコミュニケーションノート
も同様の価値を持っているでしょう。
3年前のノートを引っ張り出して読むと、なかなか面白い。
 
矢田の感想を聞いて、ふとそんなことを思いました。
ところで、ここに書いたような内容を10号記念号となるゼミ新聞に
掲載してくれないかな。
スペースあるかな?
ゼミ新聞部部長の川崎さん、いかがでしょう?
  
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というところで引き上げようと思っていたら、OG(04)井口が
やってきました。
下のお菓子(シュークリーム)を持参して。
すでに食べた後の写真ではありません。
中コンで食べてきたらしく、余った3個とのことです。^^;
 

その3個を物色中の4年(08)矢田です。
 
で、あちこちに飛びながら、3人で、結局22時過ぎまで
色々なことを話したのでした。
 
 

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