2011年4月9日土曜日

共感の時代に

ソーシャルメディアの普及は、「あ、そうそう、ほんとそうだねー」といった
共感がつながる時代を生み出しているようです。

(注)つながる、は前からの私のネット上のペンネーム。KW塾もこれを意識していまし
   たし、Facebookでは Kakashi Tsunagaruと いう名称を使っています。
   ガリラボという空間自体が「つながり」を意識している場所です。


さて、ソーシャルメディア時代の現代、そしてこれからの情報の流れは、

Sympathize/共感する→Identify/確認する→Participate/参加する
→Share&Spread/共有・拡散する

とモデル化され、頭文字をとってSIPSと名付けられています。
電通のグループによって開発されたモデルです。
大変共感させられたモデルでした。

ソーシャルメディアを通して流れて行く情報が今後減ることはなく増え
て行くことを想像すれば、すべてがこのモデルではないにしろ、情報
の流れを考えていくのにこのモデルは重要になっていくでしょう。

漠然とですが、新しい情報というのをツイッターのライムラインでフォ
ローしている個人が発した情報によって知ることが多くなったように感
じています。

新しい情報の接触点としてツイッターが機能し始めている。

私もそんな印象を持ち始めていますが、ソーシャルメディア時代とは、
これまで新しい情報の提供元であったマスメディアに大きな意識変革
を迫っていると言ってよいでしょう。
私たちは、メディアにおける革命の真っただ中にいるのだと思います。


さて、震災後に書かれた村上龍の次の記事を知ったのもツイッターか
らでした。

危機的状況の中の希望
http://www.timeout.jp/ja/tokyo/feature/2581/

この中に今後のメディアの大事な役割が図らずも書かれていますが、
それよりも、記事内の

   私が10年前に書いた小説には、中学生が国会でスピーチする場面がある。
   「この国には何でもある。本当にいろいろなものがあります。だが、希望だけがない」

という小説(「希望の国のエクソダス」村上龍著/文藝春秋)内の一言に
考えさせらました。

このシーンは小説の中で、内戦中のパキスタンで発見された16歳の
日本人少年に報道関係者が聞いた設定になっているようです。
銃を抱えた少年に報道関係者が聞きます。

   「なぜここに君がいるんだ?」
  「この先の谷には数万発の地雷が埋まっていて、誰かが除去する
   必要がある、われわれの部族はそれをやっている」
  「日本が恋しくはないか?」
  「日本のことはもう忘れた」
  「忘れた? どうして?」
  「あの国には何もない、もはや死んだ国だ、日本のことを考える
   ことはない」
  「この土地には何があるんだ?」
  「すべてがここにはある、生きる喜びのすべて、家族愛と友情と尊
   敬と誇り、そういったものがある、われわれには敵はいるが、い
   じめるものやいじめられるものがいない」

こういった会話が小説内にはあるようです。
もちろん極端な例ではありますが、多少ですが、この意味が実感として
理解できます。

職業柄、多くの学生たちと接することが多いわけですが、話をしていると、
自分探しをせざるをえないニヒリズムの時代を感じざるをえません。
何を目標にしているのかよく分からない、社会自体が希望を失ってしまっ
た時代であったから当たり前です。

しかし、

  だが、全てを失った日本が得たものは、希望だ。大地震と津波は、
  私たちの仲間と資源を根こそぎ奪っていった。だが、富に心を奪わ
  れていた我々のなかに希望の種を植え付けた。だから私は信じていく。

と上記記事の最後を村上が結んでいるように、震災で何かが変わりました。
そう思います。
どうでしょうか?

これまでは「しがらみ」「カベ」などでできなかったことができて、新しい社会を
開ける可能性(希望)が生まれるのではないかとそういったこと言っている人
たちがでてきています。
たとえば、

今回の災害を乗り越えた先には、新しい社会が待っているような気がする
http://blogs.itmedia.co.jp/mm21/2011/03/post-27a9.html

といったブログを見つけました。
これを読むと、新しい社会(=希望)が待っていることを予感させられます。
このブログを書かれた方は、

  今回の災害を乗り越えた先には、今までやりたくても、様々な見えない壁が
  阻んでできなかったことが、壁が崩れたことで実現できる、全く新しい社会が
  待っているような気がします。
  そして、それを作るのは、他ならぬ私たちです。


と結んでおられます。

具体的な例ですが、たとえば50Hzと60Hzの違いの解消も震災前
だったら議論されることさえあり得なかったことが、今だったらでき
そうな気がしないでもないですしね。


20歳の学生が社会に対してほんとに力を発揮していくのは30歳を
過ぎてからでしょう。
10年後です。
その時に真の力を発揮できるよう、力を蓄えていってほしい。

来週の月曜から授業開始。
08、09の学部ゼミ生、10、11の院生の新しいガリラボでの活動が
始まります。

目先でなく、10年先の自分を想像しながら、しかし足元を見ることを
忘れることなく目の前の課題を真剣に取り組んでいく、そういった姿
勢で取り組んでほしいと願っています。


最後にもうひとつ。

サントリーのサイトに

  3月11日の東日本大震災後、日本が明日に向かって前進するためにサントリー
  グループとして何かメッセージをお届けすることはできないか。
  そこで、弊社の広告宣伝にご登場いただいている方々のご協力をいただき、希
  望の歌のバトンリレーを行うことで、少しでもたくさんの人の気持ちに絆の和を広
  げていくことが出来ればと考えました。
  日本中で幅広く愛されている名曲『上を向いて歩こう』『見上げてごらん夜の星を』
  の2曲を、ご厚意で参加いただいた総勢71名の皆さん一人一人が、心を込めて歌
  い上げてくださいました。

とのメッセージとともに、71名の方々の歌のリレーが映像がおいてあります。

http://www.suntory.co.jp/enjoy/movie/d_s/880953901001.html

サントリーからのメッセージを重ねながら映像を見て、感動しました。
手はすぐにキーボードに。
もちろん、すぐにツイートしました。
これこそが、SIPSモデルの開始点「共感(Sympathize)」に他なりません。


(引用)
危機的状況の中の希望
村上龍

先週の金曜、港町・横浜にある我が家を出て、午後3時前、いつも行く新宿のホテルにチェックインした。普段から私はここに週3~4日滞在し執筆活動やその他の仕事をしている。

部屋に入ってすぐに地震が起きた。瓦礫の下敷きになると判断し、とっさに水とクッキー、ブランデーのボトルをつかんで頑丈な机の下にもぐりこんだ。今にして思えば、高層30階建てのビルの下敷きになったらブランデーを楽しむどころではないのだが。だが、この行動によってパニックに陥らずにすんだ。

すぐに館内放送で地震警報が流れた。「このホテルは最強度の耐震構造で建設されており、建物が損傷することはありません。ホテルを出ないでください」という放送が、何度かにわたって流された。最初は私も多少懐疑的だった。ホテル側がゲストを安心させようとしているだけではないのかと。

だが、このとき私は直感的に、この地震に対する根本的なスタンスを決めた。少なくとも今この時点では、私よりも状況に通じている人々や機関からの情報を信頼すべきだ。だからこの建物も崩壊しないと信じる、と。そして、建物は崩壊しなかった。

日本人は元来“集団”のルールを信頼し、逆境においては、速やかに協力体制を組織することに優れているといわれてきた。それがいま証明されている。勇猛果敢な復興および救助活動は休みなく続けられ、略奪も起きていない。

しかし集団の目の届かないところでは、我々は自己中心になる。まるで体制に反逆するかのように。そしてそれは実際に起こっている。米やパン、水といった必需品がスーパーの棚から消えた。ガソリンスタンドは枯渇状態だ。品薄状態へのパニックが一時的な買いだめを引き起こしている。集団への忠誠心は試練のときを迎えている。

現時点での最大の不安は福島の原発だ。情報は混乱し、相違している。スリーマイル島の事故より悪い状態だがチェルノブイリよりはましだという説もあれば、放射線ヨードを含んだ風が東京に飛んできているので屋内退避してヨウ素を含む海藻を食べれば放射能の吸収度が抑えられるという説もある。そして、アメリカの友人は西へ逃げろと忠告してきた。

東京を離れる人も多いが、残る人も多い。彼らは「仕事があるから」という。「友達もいるし、ペットもいる」、他にも「チェルノブイリのような壊滅的な状態になっても、福島は東京から170マイルも離れているから大丈夫だ」という人もいる。

私の両親は東京より西にある九州にいるが、私はそこに避難するつもりはない。家族や友人、被災した人々とここに残りたい。残って、彼らを勇気づけたい。彼らが私に勇気をくれているように。

今この時点で、私は新宿のホテルの一室で決心したスタンスを守るつもりでいる。私よりも専門知識の高いソースからの発表、特にインターネットで読んだ科学者や医者、技術者の情報を信じる。彼らの意見や分析はニュースではあまり取り上げられないが、情報は冷静かつ客観的で、正確であり、なによりも信じるに値する。

私が10年前に書いた小説には、中学生が国会でスピーチする場面がある。「この国には何でもある。本当にいろいろなものがあります。だが、希望だけがない」と。

今は逆のことが起きている。避難所では食料、水、薬品不足が深刻化している。東京も物や電力が不足している。生活そのものが脅かされており、政府や電力会社は対応が遅れている。

だが、全てを失った日本が得たものは、希望だ。大地震と津波は、私たちの仲間と資源を根こそぎ奪っていった。だが、富に心を奪われていた我々のなかに希望の種を植え付けた。だから私は信じていく。


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