お昼、研究室はMORE(1年生)が集合してのランチミーティング。
4年松尾を代表にした打合せが行われていました。
その頃、3年の矢部チーム(門前、平野)がやってきて何やら始めていましたが、私はその頃には外出したのでその後のガリラボの状況はよくわかりません。
暗礁に乗り上げていると(笑いながら)愚痴っていた矢部チームですが、暗礁を頑張って乗り切ってほしいと思います。
ところで、野村前楽天監督が一流と二流の違いについてこんなことを言っているようです。
先週、西南学院大学を訪問したとき西南の4年生(野球部だったとのこと)から聞きました。
野村前監督が言うには、一流選手とは、
今の自分に何が足りないのかを分析し、自分の課題を認識し
正しく努力する選手である
ということだそうです。
一流選手がほぼ例外なくそうしているとのこと。さらに、一流と二流の分かれ目とは、
才能の限界にぶつかったとき『もうダメだ』とあきらめるか、
『どうすれば突破できるか』と考えるかが一流と二流の分かれ目である
ということでした。
矢部チームに限らずですが、ほとんどのゼミ生がガリラボの課題で限界にぶつかっていると思います。
レベルは関係ないのです。
自分の限界を突破していくのを一流ということであれば、一流には誰でもなれるのかもしれません。
課題を認識し、正しく努力する努力をしていきましょう。
2009年12月1日火曜日
2009年11月30日月曜日
制約は創造の源泉
以前のブログに隈研吾の「制約は創造の母」ということを書いたことがあります。
不自由さ、不便さこそが創造には必要だということです。
3年生の水俣チームが越小場地区をストップモーションで表現しようとしています。
単純に、写真(ペーパー)を並べながらワンカットづつ撮影していくものと漠然と考えていました。
たぶん誰もその方法のことを疑っていなかったと思います。
ところで、本日夕方のこと。
そのチームが600枚の写真の印刷をコンピュータ室に依頼に行ったとのこと。
常識のレベルを越えているので一応注意しました。
私自身も考えが及んでいなかったのですが、枚数が増加した時にどう対応するのかというのは大問題です。
で、注意しながらも、頭の中は別のことを考え始めました。
600枚の印刷が難しいという「制約」のせいです。
そこで思い当りました。
あのモデルにしている「オオカミとブタ」も実際には紙の写真は使っていないのではないかということです。
実際に多量の写真を並べながら、それをワンカットずつぶれずに撮影していくのは相当なカメラ技術が必要になるはずです。
そこまで思い至ったとき、閃きました。
Photoshopでやればいいんだと。
ワンカットの写真を変化をレイヤの変化に変換すればいいわけです。
極めて単純なことでした。
こんな簡単なことにそれまで思い至りませんでした。
高度なカット写真撮影も不要になります。
そしてこれならばメンバーが並列に作業できて効率は良いし、さらには驚くような場所でのストップモーションも簡単に実現できるはずです。
600枚の印刷が無理という制約から生まれた発想です。
印刷が簡単に許されていたら(自由であったら)、この発想には至らなかったでしょう。
制約は創造の源泉です。
隈研吾はあえて制約(不自由さ)がなければ、自分でそれを探しにいくんだといいます。
現在まだ、卒論の添削で苦しんでいます。
ゼミ生からこれほど大きな制約をもらっていますが、「早く終われ!」と想うばかりで、残念なことに創造には至っていません。
不自由さ、不便さこそが創造には必要だということです。
3年生の水俣チームが越小場地区をストップモーションで表現しようとしています。
単純に、写真(ペーパー)を並べながらワンカットづつ撮影していくものと漠然と考えていました。
たぶん誰もその方法のことを疑っていなかったと思います。
ところで、本日夕方のこと。
そのチームが600枚の写真の印刷をコンピュータ室に依頼に行ったとのこと。
常識のレベルを越えているので一応注意しました。
私自身も考えが及んでいなかったのですが、枚数が増加した時にどう対応するのかというのは大問題です。
で、注意しながらも、頭の中は別のことを考え始めました。
600枚の印刷が難しいという「制約」のせいです。
そこで思い当りました。
あのモデルにしている「オオカミとブタ」も実際には紙の写真は使っていないのではないかということです。
実際に多量の写真を並べながら、それをワンカットずつぶれずに撮影していくのは相当なカメラ技術が必要になるはずです。
そこまで思い至ったとき、閃きました。
Photoshopでやればいいんだと。
ワンカットの写真を変化をレイヤの変化に変換すればいいわけです。
極めて単純なことでした。
こんな簡単なことにそれまで思い至りませんでした。
高度なカット写真撮影も不要になります。
そしてこれならばメンバーが並列に作業できて効率は良いし、さらには驚くような場所でのストップモーションも簡単に実現できるはずです。
600枚の印刷が無理という制約から生まれた発想です。
印刷が簡単に許されていたら(自由であったら)、この発想には至らなかったでしょう。
制約は創造の源泉です。
隈研吾はあえて制約(不自由さ)がなければ、自分でそれを探しにいくんだといいます。
現在まだ、卒論の添削で苦しんでいます。
ゼミ生からこれほど大きな制約をもらっていますが、「早く終われ!」と想うばかりで、残念なことに創造には至っていません。
パズル解き
今日はかなりの時間をかけて添削をやっています。
卒論の概要の添削です。
現時点で完成にまでこぎつけたのは8人。
たった8人ですが、いざ添削を始めるとこれがなかなか・・・
相手は、かなり手ごわいんです。
書いていることが大変難解。
難しいパズルを使って挑戦してくるんです、相手は。
数学の問題、特に解析学(微分積分)の分野は解くのが大好きですが、離散数学的なパズルを解くのはあまり得意ではありません。
パズルの裏に隠されている本人の意図を読み解き、その意図を正しく反映させるように文字を並べなおす作業はかなりの集中力が要求されます。
割とならべてくれているジグソーパズルから、わざと私をいじめているかのようなバラバラにしているジグソーパズルまで様々です。
まだ残り5人ほどいます。
パズルでないことを祈るばかりです。(^^)
卒論の概要の添削です。
現時点で完成にまでこぎつけたのは8人。
たった8人ですが、いざ添削を始めるとこれがなかなか・・・
相手は、かなり手ごわいんです。
書いていることが大変難解。
難しいパズルを使って挑戦してくるんです、相手は。
数学の問題、特に解析学(微分積分)の分野は解くのが大好きですが、離散数学的なパズルを解くのはあまり得意ではありません。
パズルの裏に隠されている本人の意図を読み解き、その意図を正しく反映させるように文字を並べなおす作業はかなりの集中力が要求されます。
割とならべてくれているジグソーパズルから、わざと私をいじめているかのようなバラバラにしているジグソーパズルまで様々です。
まだ残り5人ほどいます。
パズルでないことを祈るばかりです。(^^)
2009年11月29日日曜日
ふたつのメール
先ほど、4年生に卒論概要のゼミ内提出締め切りを遅れないよう注意を喚起する長いリマインドメールを送りました。
安全に早めに出す人、ぎりぎりまでのおっとりな人、色んなゼミ生をこれまでもたくさん見てきました。
ゼミ内での締め切りの話なので今回はそこまで考えることはないのですが、一般論からすると、次の2つの点で前者の人が優秀です。
優れたものを生みだすこととリスクヘッジ。
ひとつ目が優れたものを生みだす可能性が高くなるという点です。
ギリギリでは、推敲ができません。
推敲は荒削りなものの完成度を高めるため、ディテールを仕上げるために必須だからです。
ギリギリであることは、ディテールに無頓着であることを証明しているように見えます。
神は細部に宿ります。細部にこだわった作品は人の目を惹きます。
細部を仕上げるには時間をかける必要があります。
優れたものを生みだすのは締め切りよりも早めに一通り完成させるのが大変重要となります。
もうひとつがリスクヘッジ。
締め切りのあるを早めに仕上げておくことは、暫定版でもよいから形があるので、何かの事故があっても提出はできます。
優れた人というのは重要な決断をしません。
というか、重要な決断をしないでよいよう先回りして、リスクが生まれないように行動しているのです。
優秀な人ほど土壇場という状態を生みだすことがなく、そのためにドタバタすることがありません。
ドタバタすることがないので目立たず陰に隠れてしまいがちですが、そうではなく、日常的にち密に物事を捉えている優れた人だとぼくは思います。
さて、4年生への長いメールには今夜は徹夜して頑張るよう書いて送ったのですが、最後に、今夜は「坂の上の雲」があるからそれは見た方がいいかもしれませんよと追伸しておきました。
そんなことを書いた4年生へのメールの直後、夕方17時頃、ある1年生から1行だけのメールが届きました。文面は、
先生、本日20:00からNHKで「坂の上の雲」がありますよ!
でした。ゼミ生ではない1年生からのものです。
私が忘れないようにとの気の利いたリマインダーメールに、大きな感激をもらいました。感謝。
Web3.0の時代
大学は今日は推薦入試でしたが、私は担当でなかったので「インフォコモンズ(情報共有圏)」という本を読んで過ごしていました(なお入試の担当を外れたのは能力不足とか、信用がないとかという理由ではありませんよ。念のために)。
マスメディアなどの情報に関する強者が一般市民に向けて発信していたのがWeb1.0時代。
この時代、主従関係が明瞭でした。
私発信する人、私閲覧する人、そんな感じでしょうか。
そして、ブログやSNSなどで強者と弱者が入り混じり、サイバー空間がフラットになったのがWeb2.0時代です。
今現在はこの時代ですね。
読者数ほぼ10人程度(たぶん)と言う極めて少人数に向けたガリラボ通信を発行している私などはもちろんWeb2.0時代をそのまま生きているわけです。
Web2.0時代が進展し、膨大な発信者が生まれた結果サイバー空間が無構造化してしまい、その結果、検索しても何もでてこないという事態が進みつつあります。
検索の達人だとまあそれでも大丈夫でしょうが、一般の人にとってはこの広大な無構造化してしまった世界はあまりにも自由すぎて不自由になってしまっています。
この構造を失った世界に構造を与え、そこに情報共有圏(インフォコモンズ)を生みだそうとしている試みがWeb3.0ということだそうです。
Amazonが「あなたにお勧めの本」などを紹介してくれますが、誰が紹介してくれているのかよくわからない不気味な協調フィルタリングではなく、自分自身が自分に適合する共同体を見つけ出していくような世界がWeb3.0の世界なのだということです。
mixiのようにリアルな共同体からサイバー空間の共同体を作り上げていくのではなくて、サイバー空間で自分に合う共同体を生みだしていくことようなことも含んでいるようです。
先日、院生の伊藤と一緒に1年生に話を聞いていたら、ケータイなどではすでにそんな共同体の作り方をしているのを聞いて目が点になってしまいました。
物心ついたときからサイバー空間がある人たち(デジタル・ネイティブ)とそうでない人たちはまた違った目で共同体が見えているようです。
こんなことを書いてはみたものの、実は私自身まだほとんど新しい動きについて理解できてはいないのです。
とりあえず、サイバー空間はWeb3.0という新しいレベルに進化をしようとしていることだけはわかりました。
読了後、中身はほとんど忘れてしまいましたが、また変化するのかというワクワク感を得ることはできました。
ガリラボのみなさん、新しい時代を一緒に楽しんでいきましょう。
さて、本日はNHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」が始まります。
コンピュータもWebも何もない時代の話ですが、近代化の黎明期を駆け抜けた人たちの話です。
情報を生業にしている研究室にいる私ですので、新しい近代のコトバの創造に意欲を燃やした正岡子規に注目したいと思います。
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