2024年3月6日水曜日

玉名観光協会・観光物産課へ最後の挨拶へ

たまむすび及びたま輪チームの代表と一緒に、お礼と引継ぎを兼ね最後の挨拶に、昨日、玉名観光協会(たまララ)と玉名市観光物産課にでかけてきました。
雨だったので渋滞を予想し少し早めに出てところ、なっといつも同じぐらいの時間で着いてしまい、時間があったのでしばし玉名観光。2時約束のたまララに直行せず、高瀬大橋を通り、
 玉名駅→玉名高校→北稜高校→玉名温泉
を巡てから新玉名駅のたまララに向かいました。

たまララでは柿添さんと泉さんが待っていてくださいました。たま輪から4年(20)松本・大山が出向き、今年度の活動をまとめた資料と成果物について説明し、電子媒体をお渡ししました。資料はたまララの事業報告でも使用されるようです。
1時間近くおしゃべりし、感謝の言葉を伝え、最後に記念撮影して別れました。

そのまま玉名市観光物産課は直行。受付のところで立ち話で終わろうとか思っていたのですが、事務室奥の応接室に案内されました。

応接室で持参した資料をもとにSNSに関することを職員さんに引継いできました。
私たちの活動について課長さんにお礼の言葉をもらい、その後、観光物産課とのいつもの(人に聞かせられないほどの低レベルの)掛け合いが続き(笑)、ここでも1時間近くだべっておりました。我々の関係を知らない人がみたら、何をやっているのか絶対にわからなかっただろうと思います。
最後に記念撮影・・・・
上の写真がひどかったので、もう一枚(笑)。

物産課を出ようとしたら、和田さんに引き留められ、出口近くに立たされました。
色々と温かい言葉をかけていただいた後、物産課職員のみなさん全員も起立され、拍手にて私たちを見送っていただきました。
全員がこちらをみておられるので、全員の顔がよく見え、特に指揮棒紛失事件の際の職員さんが大方おられて、14年間、職員さんと玉名の観光についてゼミ生と関わらせてもらい、もうほんとに色々なことがありました。それらはこのガリラボ通信にすべて記録されています。それらを振り返ると、どの活動も非常に楽しく、おかげで14年間充実した日々を過ごすころができました。
14年も通い、いろいろな場所を歩き回ったおかげで、玉名市内の細かい道までほとんどわかるほど玉名に精通しました。
私自身が玉名人(たまなびと)になったように思います。今後それが役に立つのかどうかわかりませんが、ほぼ故郷のようになってしまったので、暇を持て余し、どこにも行くところがなかったら玉名に出かけようかと思います(笑)。

お土産に金栗グッズをたくさんもらいました。

金栗グッズは有難いことでしたが、お腹も少しすいたので、玉名の最後に「あいあい庵」に立ち寄り、名物のお団子を手に入れ、車の中で食べながら大学に戻りました。

玉名市との関係のスタートは2010年7月14日のことでした。
 →セカイカメラプロジェクト説明会(ガリラボ通信2010/7/14)

2024年3月5日の玉名市での活動報告で、ガリラボと玉名市との長かった組織的なつながりは終了しました。

お世話になった玉名のみなさんには大変感謝しております。
有難うございました。
                 津曲研究室一同を代表して
                          津曲隆


2024年3月5日火曜日

OG(19)元山・岩生からの差し入れ

19ゼミ生の卒業アルバムをOG(19)市原がおいていったのは昨年の5月(ガリラボ通信2023/5/12)。
大学に来れる19ゼミ生には取りに来るようにと市原はLINEで呼びかけ、9冊ほどおいていきました。
それから7か月。2月下旬で9冊は7冊になってました。
このまま取りに来ないと捨てるわけにもいかず、困りそうなので、いつでも取りに来れる状態にして廊下の机の上においておきました。
その効果があり、今日現在、3冊減り、残り4冊になりました。
3冊のうちの2冊は(19)岩生と元山だったようで、昨日、顔を出したようです。
昨日、私は休んでおり会えませんでした。
差し入れがおいてあり(感謝)、2人だとわかりました。

もう1冊は誰がもっていったのかはわかりませんが、市原に連絡するようにと注意書きしているので、市原は把握できているだろうと思います。


2024年3月1日金曜日

広報紙15号(最終特別号)発行

前号から1年が空いてしまいましたが、20ゼミ生だけの広報部による15号が完成しました。
最後の広報紙となります。これまでに比べてかなり分厚い量になっています。

表紙
03ゼミから08ゼミ生までの集合写真で飾られています。

目次です。

中には、新聞部・広報部の歴代部長の顔がエフェクトをかけて紹介してあります。
こうしてみるとたくさんの代で新聞・広報紙が作られてきたことがよくわかり、歴史を感じました。

最後の広報紙に寄稿したわたしのコラムです。
ここに書いた通り、この冊子がガリラボを結びつけるメディアの役割を果たしてくれたと思います。歴代の新聞部員・広報部員に感謝したい。

裏表紙は09ゼミ~20ゼミ生たちの顔で締めくくられていました。

ガリラボの関係者には40頁ほどのpdf版が届いているはずです。
時間のあるときに目を通してみてください。
 

2月のアクセス統計

3月に入りました。ガリラボ最後の1か月となります。

2月のアクセス統計です。

2月は活動が濃かったようで、29日間でなんと20エントリーも投稿していました。
1月の2倍になります。このためページビューもかなり増えました。
  4,953 (PV/月) ( 170.8 PV/日 )


よく読まれたエントリーは、やはり「ラスト」関連のものでした。
トップはガリラボから送り出す最後のゼミ生である20ゼミ生の卒業式、その次が閉ゼミ式、その後は、卒業生たちの話題が続きます。
リストで気になったのが10番目の
 小学校6年生国語の教科書からの引用(ガリラボ通信2021/3/12)
です。なぜ、これが多くアクセスされているのでしょう?
ゼミ関係者でなく、一般の方からのアクセスなのだと思います。気になったので(自分で書いたものではありますが)読んでみました。
日野原さんが伝える、生きていく上でのひとつの指針が書いてあります。
キーワードは「器(うつわ)」でしょうか。
まだ全く満たせていない器に何かを満たしていくよう、心がけていこうかと思います。

残り1か月。20ゼミ生の活動もすべて完了しますので、静かな日々になるかと思います。

2024年2月29日木曜日

ガリラ語録の撤去

道場を閉場する際、残っていた最後の廃棄予定の品々はすべて研究室の奥に移動させました。
ここで一時保管し、燃えるもの、そうでないものに選別した上で廃棄します。

この日、10年前(2014年)に12ゼミ生が作成した「ガリラ語録」のパネルも撤去しました。道場においてあったものを研究室に移動させ、それから10年近く。
ガリラボのゼミ生はこのパネルを見ながら、ここガリラボで活動していたはずです。


語録を撤去した後の研究室では、最後の広報紙発行に向けラストスパートしている広報部員の姿がありました。 

 

2024年2月28日水曜日

道場の初期化、そして閉場

ガリラボで10年以上使用させてもらった情報実験室3。
ここをガリラボ生の鍛練の場という意味で「道場」と名付け、歴代のゼミ生がこの場所でガリラボの成果につながる数々の活動を行ってきました。

この道場を、20ゼミ生の最後のゼミの時間に大掃除を行い、そしてこの場所の最後の利用となったのが2月20日のガリラボ卒業式でした。
残っていたモノを昨日すべて廃棄し、道場を完全に初期化し、ガリラボ以前の姿「情報実験室3」に戻しました。

通信を見返すとわかるように、道場はガリラボの活動を支えてくれた、思い出がたくさん詰まった場所でした。
ガリラボでここを使用することはもうありません。
2月27日午前、電気を消し、閉場しました。

感謝  <(_ _)>

2024年2月27日火曜日

OB(M15)福永の来室

OB(M15)福永が来室。
午前中はゼミ生もいなかったので2人でじっくりと、近況などで会話が弾ませた1時間でした。
私としては、いつも大学にしかいないので、福永の仕事の視点からみた熊本等の状況を聞くのは大変新鮮でした。

ゼミ生に出張先で買ってきたという長崎土産をおいていってくれました。
そして、私には「飲まれますよね?」とのことでコーラと焼酎をおいていきました。
冬場は全く飲みませんが、その一方で暑くなってきたら、私にはコーラは必需品です。
暑くなるまで保管しておこうと思います。(^^)