2024年6月23日日曜日

昼はOG(19)川口と、夜はOG(03)菅原と

昨日はダブルヘッダー。

OG(19)川口が熊本に出てきたので午前中会うことになり、わが家に呼び、家内の手料理でランチ。仕事のこと、テニスを始めたことなど、4時間以上色々と話をしておりました。夜は同期の酒豪のゼミ生たちとの飲み会とのことでした。川口を撮った写真は完全にピンボケしていて、ここに載せるのは見送ります。


夜はOG(03)島本夫妻を我が家に呼んで、同じく家内の手料理で夕食(お酒を飲んだせいか、料理の写真を撮ることは失念)
この2人には、昨年5月に大学で一瞬だけ会う機会があり、いつか家内も交え食事をと思っていて、それが1年以上も経った昨日になってようやく実現したのでした。
ご主人とちゃんと話をするのは初めてでしたが、学校関係者ということもあったからでしょうが、話は弾み、気が付けば3時間以上も駄弁っておりました。


私も思いましたが、家内もそう感じたようで、この2人似合いのカップルでした。^^

2024年6月19日水曜日

OB(12)丸野との興津会打合せ@ファミレス

先日、OB(12)丸野から連絡があり、「先生、時間ありますか?」とのこと。
丸野は水曜日が仕事休みで、私も水曜日は予定が空いているので、今日午前中、丸野と上熊本のお店で会うことにしておりました。
歩いて、待ち合わせのお店に出向いたら、なんとまだ開店していないではないですか。
びっくりでした。orz
なんとも間抜けな待ち合わせとなりましたが、急遽、近くのジョイフルに場所を変えることにしました。

ジョイフルで1時間少し色々と駄弁り、話がまとまり、11月の土曜日を今年の興津会の候補日とすることになりました。
今年は特に何か企画するということではなく、通常の飲み会の形で開催するということでした。
しばらくすると卒業生に案内が届くようになるかと思います。

打合せを終えファミレスを出たところです。この後、丸野は休みですが、自己研鑽を兼ね資格試験の勉強に向かいました。
 
・・・

さて、いつ以来なのかまるで記憶にないほど久しぶりにファミレスに入りました。
配膳ロボが「いる」のではないかと期待しましたが、お店の方が運ばれてきて、少々がっかりでした。^^;
 
 

2024年6月18日火曜日

名誉教授称号授与式

昨日、大学で名誉教授の称号授与式がありました。
ゼミの卒業生には直接的に関係はありませんが、一応報告しておきます。

第63号という数字をみて、素因数分解すると
 3x3x7
なので、「三三七拍子だな」と、そんなどうでもよいことを真っ先に思い浮かべてしまいました。

これからも真っ当に生きていきたいと思います。
 

2024年6月13日木曜日

OG(16)小島からの連絡

OG(16)小島から連絡があり、東京配属になったとのこと。
京都からの異動で、仲の良いOG(16)松寺と同じ東京となり、これまで以上に2人で遊んでまわることになるのでしょう。笑
東京在住の関係者には迷惑をかけるかもしれませんが・・・。

それはさておき、若くパワフルでうらやましい限りです。

 

2024年6月12日水曜日

山田先生、OB(M08)佐藤との会食

昨晩、山田先生、OB(M08)佐藤と大学近くで会食してきました。
この日、OB(M08)佐藤がもやいすとの特別講師として招かれており、そのタイミングに合わせて、佐藤が設定してくれた場でした。
山田先生を含め、この3人は実は県立大学の学習評価という課題に関して長年一緒に仕事をしてきた同志でした。今では多くの大学で普及しましたが、当時国内では非常に珍しかった教学IRを山田先生とOB(M08)佐藤の2人3脚で県立大に立ち上げていきました。ちなみに、私は実務はほぼ何もやっておらず、ほぼ応援だけでした。この2人の尽力で教学IRは形になりました。
あれやこれやと3人での楽しい会食は、あっという間で、お店の方に催促され、気づけば3時間ほどが過ぎていました。

なお、この日、研究室で2008年以来預かっていたウクレレを佐藤に無事に返却できました(笑)。ウクレレの意味を知っているゼミ生はほとんどいないとは思いますが・・・。
ウクレレの返礼というわけではありませんが、佐藤からはDVDをプレゼントしてもらいました。
退官記念祝賀会(ガリラボ通信2024/5/12)の際の私の「最終講義(ゼミ)」が収められているDVD。有難く受け取りました。

帰りには自宅まで送ってもらい、何から何まで佐藤にはお世話になり、感謝の言葉もありません。
佐藤はこれから油が乗っていくでしょうからさらに活躍していくでしょう。
活躍を「さとらぼ通信」を見させてもらいながら、静かに応援していきたいと思います。
 

2024年6月1日土曜日

5月のアクセス統計&「まちの情報化」を再び

ガリラボの活動の余韻がまだ残っている5月。通信のアクセス統計をみるとそんな印象を持ちます。
5月前半はかなりのアクセスがあります。大学院卒業生が私の退官祝賀会を開催してくれたからかと思います。次のグラフを見ると、祝賀会の時期をピークにその後は徐々にアクセスは減少し、フェードアウトしていく状況がみてとれます。
祝賀会開催の影響が大きいと思いますが、月間の総PV数は数値的にかなり大きい値になりました。
5,734 (PV/月) ( 185 PV/日 )
5月はわずか2エントリーしかないのに、この値。コロナ禍の時期よりも大きいのには驚きます。

よく読まれたエントリーは以下の通りです。5月は2エントリーだけなので、それが当然上位となります。

ガリラボ通信は現在6,352エントリーあり、そのため実は、毎日過去の色々なエントリーが(おそらく検索されて)読まれているようです。そうした多様なアクセスが存在することがが、今回2エントリーしかなかったので、よくわかります。
こうしたロングテールのようなアクセスのことを「アクセス履歴分布のロングテールガリラボ通信2020/2/15)」に書きました。この通信に書いた通り、極少ないアクセス数のエントリーを改めて私も読むことがあるのですが、自分が書いたものですが、これがまた意外に「なるほど」と思いながら読み直すことが多いのです。2020/2/15にも書きましたが、糸井重里さんが、2011年11月18日にこんなツイートをされました(ガリラボ通信2011/12/11参照)。
「ほぼ日手帳」は、書くものだとか記すものだとか思わないほうがいい。
読むものなんですよ。じぶんで書いたものを読むときが、いちばん役に立っているときなんです。
たとえばいま「出口も設計する」というじぶんのメモを読んだ。ああ、と思い当たることがいくつか浮かぶ‥‥。
ガリラボ通信は私にとってまさにその通りの記録になっているように思います。自分で書いたものなのですが、それで自分が刺激を受ける。そんなツールになっています。
記録することって大事だと、実感します。
そうした忘れていた過去の記録を誰かのアクセスによって思い出させてもらえる、こうしたブログというツールは有難いものだと思います。

そうしたこともあり、またガリラボ通信で記録する機会が減ったので、記録することを続けようと新しく
というブログを4月1日から開始しました。
ガリラボの初心に戻った活動です。ガリラボはガリラボとして活動し始めたとき、
 まちの情報化
というのを活動の目的としていました。それに向けて色々な活動を展開してきたわけです(たとえば、こんな活動です→ガリラボ通信2008/8/29とかガリラボ通信2008/11/12とか・・)。
私ひとりになりましたが、それをまたひとりで細々とやっていこうかと思ってスタートさせたブログです。
とりあえずは写真記録からスタートしています。これから徐々に工夫し、音声、動画等々、いろいろな媒体を使って私が歩いたところを記録していく予定です。
今はSNS等で色々な情報が溢れているので必要性があまりないのかもしれませんが、ただ、もしこの記録が長く続くようだったら、そのことで新しい意味が生まれていくはずだと思い(このガリラボ通信のように)、「継続すること」を目的に続ける予定です。