2022年7月25日月曜日

じっくりと立ち止まってみる

よく見れば薺(なずな)花咲く垣根かな」と詠んだのは松尾芭蕉。

あまりに目立たない日常の風景でもしっかりと見れば、そこには見るべきものがあること発見したときの驚きを表現したようです。
一般の解釈とは異なっているかもしれませんが、私はそのように理解しています。

先日、ベランダにあった、それこそよく見てから気づいた、植物をレンズを通してみてみました(老眼のため肉眼ではよく見えませんので)。
なんと興味深い造形がそこに広がっていて、驚きました。
松尾芭蕉が詠んだときの気持ちを共有できた気がしました。^^

実は、冒頭の芭蕉の句は、ガリラボがフィールドワークをスタートさせたとき、一種の指導原理のような枠割を果たしていました。
薺(ナズナ)花咲くプロジェクトin玉名ガリラボ通信2008/8/29)
真夏に、フィールドワークの方法を学び始めたのは今からもう14年も前のことになります。
この時から随時醸成していったガリラボのフィールドワークの文化は、コロナ禍で、引き継がれることなく衰退してしまいました。
大変残念です。


足を止め、じっくりと観察することは、新しい気づきをもたらすものです。

不易流行

世の中、新しい流行があり、そしてそういう流行がないと活気が生まれないわけですが、そうした流行を支えるには、そこに不変なものがなければなりません。
変化は変化しないものの土台があって初めて変化を知覚できますから。
じっくりと観察することなどはそうした不変なもののひとつではないかと思うのですが、どうでしょうか。
 
すぐ役立つものはすぐ役立たなくなるものです:
⇒ 2つの授業の比較から見えることガリラボ通信2011/2/27
 
大学で、特に学部の時代は、すぐ役立つことだけを目指すより、何のためにやっているのかよくわからない、すぐ役立つとは思えないことをじっくり学ぶ期間にできるといいですね。