2022年2月17日木曜日

雑談についての大学生の「声」

随分前にネットで見た記事です。2021年10月14日の朝日新聞の「声」の欄への大学生からの投稿ということでした。
コロナ禍は大学生に相当な影響を与えました。ゼミ生を担当していると強く実感しています。
投稿した大学生は、講義での雑談ノートを作り、雑談の重要な側面に気づいたということでした。
https://www.asahi.com/articles/DA3S15075435.html

私も対面では90分話していた内容が、オンライン用の動画にすると、雑談を端折らざるをえないので随分と短くなりました。
効率はよいですね。
思い出したのが、対面授業時代の授業評価である学生が授業で改善すべき点として「雑談が多い」ということを挙げていたことです。
ただ、雑談にも「無駄な雑談」と「意味のある雑談」があるはず。
「意味のある失敗」と「意味のない失敗」があるのと同様に。

授業内容を異なる側面から捕捉する意味のある雑談のつもりだったのですが、どうもその学生には意味のない雑談に聞こえていたようです。
ひょっとすると正解だけ教えてくれればよいということなのでしょうか。
そうするとそれは「わかる」という状態にはほど遠いのだということも私も授業で話しているのですが、どうもそれも意味のない雑談に聞こえているのでしょう、この学生に雑談をきちんと届けることは私の能力では無理でした。

今日はひとりのゼミ生とオンラインで30分ほど話しました。
オンラインだったので、雑談的なものはほぼゼロ。
予定していた打合せのみで、なんともテキパキとしたものでした。

オンラインが多くなって、コミュニケーションは、遺伝子情報だけをやり取りすることに終始するようになっています。
遺伝情報だけでは実際には正しく情報は伝わっていかないのですけど。
遺伝子情報を伝えるには、DNAを包んでいる周囲の雑談部分が不可欠です。
コロナウイルスもウイルスだけの力で感染させていくことないでしょう。
飛沫内を漂いつつ(守られて)ウイルスは移動していくわけで、そうすると、周囲とは、余分なものではなく、感染(伝達)のためには実は本質的なものだとも言えるのではないかと思います。