2019年8月4日日曜日

まなぶとおぼえるはちがう

熊本市中央区を豪雨が襲った7月13日に熊本学園大学ではCode for Kumamotoのキックオフイベントが開催されていました。
その中で、ある方が、
  社会をつくれなかったこの国がそれでもソーシャルであるための
  柳田國男入門
という本を紹介されていたのを聞いて、民俗学に強く興味を持つ私はすぐに注文しました。
それが先日届ました。
まだ読んでいませんが、帯についていた柳田國男の言葉に目は釘付けになってしまいました。

  まなぶとおぼえるはちがう。
  自分でしらべ
  知ろうとすると
  人のいうこともわかる。




だよなー、そうだよなーと、本を片手にこの言葉に深く共感をしてました(だからこのガリラボ通信を書いているわけですが)。

深く学んでいくと、人は謙虚になるように思います。
他者がどれほど色々なことを考えて来たかがわかるようになるからでしょう。
他者について畏敬の念を持つでしょうから。
しかし、学ばず、結果だけを覚え、効率的にやっていこうという人たちは、そうした謙虚さを持つこともなく他者の言っていることをほとんど理解できないまま。
そして、態度だけが大きくなっていって・・。


自分の人生に深みを持たないままに生きていくことなりそうです。
そして、そのことに全く気付かないで生きていくことになるでしょう。
それもひとつの生き方ではあるのかもしれません。
ひとつの人生の選択でしょうが、表面的な楽しさだけに終始し、他者の想いに共感することもなく、強い感動と無縁の人生を生きることになりそうです。
勿体ない気がします。

もっとも、私自身がそうした生き方をしている可能性もあります。
そうかもしれませんが、この本の帯を読み、とりあえず、残りの人生も「おぼえる」のではなく「まなび」を忘れないように生きていきたいと思いました。
 


 

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