2021年5月12日水曜日

演繹型及び帰納型の思考様式

九州南部は梅雨に入ったそうです。まだ5月の中旬なんですけど・・・・。
新型コロナウイルスの感染もひどい状況で驚きますが、この時期に「梅雨入り」と聞いて、それもまたびっくりでした。
感染対策もですが、豪雨に備えた対策、そして台風対策と災害に向けた対策も少しづつやっておかねばと思います。

今日はゼミ生とは3年(19)川口と少しだけやり取りした以外はずっとゼミとはほぼ関係ない仕事をやっておりました。
朝から、複数の申請書審査の仕事。先日、依頼先から書類が届き、今日はこの仕事を集中して行うことにしており、別の予定が入らないように予定表を1日この予定で埋めておりました。
ただ意外と捗り、夕方ぐらいには終わったので、昨日から読んでいた「コロナ後の教育へ」という新書を読み直し、読了しました。
我が国の教育政策を振り返ったもので、著者は苅谷剛彦さん。1995年に出版された「大衆教育社会のゆくえー学歴主義と平等神話の戦後史」という有名な本を書かれた方です。当時、この本を読み、脳みその手術を受けた気分になったことをよく覚えています。
その後、この方の本は9割がた読んでいて、その関係で「コロナ後の教育へ」も取り寄せていました。
国内の教育政策が、現時点でないものへの悲観から始まりそれを補うためにイメージを作り出し、そして形の明確でないイメージを追い求めていく演繹型の思考様式(政策に携わっている人たちの思考の癖?)であることを、これまで公開されてきた文書を使って確認されています。
大学なども「旧態依然とした大学制度」という捉え方をされることがありますが、まさにこうした捉え方が演繹型思考の出発点となります。
これに対し、実際の事例を踏まえてそれから帰納的に教育の在り方を議論して抽象度を上げていく方法もあるはずで、こっちは現場の実際を踏まえた、地に足をついた議論になりますが、地味なためかこうした思考様式はあまり人気はないようです。

演繹型と帰納型の思考様式というのを読みながら、「地元学」のことを思い出しました。
2010年ごろにガリラボでは盛んに勉強した分野です(ガリラボ通信2009/10/26)。
地元学では、地域に「ないもの」を嘆くより、今「あるもの」に視点を移してそれを光らせていくことを説いています。
まさに帰納的な思考様式であると言えます。

国全体の大きなレベルはおいておき、大学内でも演繹的思考様式(ないものねだり)に陥ることが多いように思います。そうではなく、帰納的に考えていく(あるものさがし)様式も必要でしょう。
もっとも本当に大事なことは、一方に偏るのではなく、双方を「バランスよく」ということかもしれません。

苅谷さんはこの本の81頁で、新型コロナウイルスという「予測できない未来」に対して私たちがどうやって対応してきたのか、それを帰納的に考えてみることを勧めておられました。
この部分(とその他の部分)を読みながら、M2(20)アクストの修士論文はこの帰納的思考様式であることに気づかされました。演繹的思考様式がはびこっているところに、別の視点を提供してくれるのではないかと思います。

今日はずいぶんと固い話になってしまいました。