2022年8月8日月曜日

基本が出来てないので再現は難しい

日曜日の朝、雨でした。
ふと思いつき、ベランダの葉っぱ(たぶんミニバラ)の拡大写真を撮ってみました。
水滴がひとつ、綺麗にとれてます。
ただ、これは1時間近くの悪戦苦闘の結果で、私自身は水滴という清々しさはみじんもなく、汗だくでした。この写真の背後にいる私を撮影したら、この写真とはまるで異なるものすごい状態が映っているのではないかと思います。

そんな写真ですが、これは偶然に撮れたものです。無秩序にいろいろやった結果であり、ある方向に向け、ゴールに着実に向かいながらという感じで撮影したものではありません。
なので、再現しろと言われたら、お手上げです。
基本ができていない、いわゆるド素人写真です。

何かを究めたくなったら、やはり基本が大事ですね。
どういった方向に向かえばよいのか、その指針を与えているくれるのが基本と言うものではなかろうかと思います。

たまたま今日、次の言葉を知りました。耳が痛い。
この言葉が掲載されている記事は以下にあります。

わらび餅が食べたくなりました。
 

さて、今日は、ガリラボでは4年(19)中西と川口が作業してました。
中西曰く「家ではやる気がでないので、出てきました」とのこと。
明日までにやらないといけないとか切羽詰まっているときは自宅でもよいでしょうが、そうでないとき、自宅で何かやるのは難しい。娯楽の時間、消費の時間で終わり、生産の時間にすることは難しい。
家とは、くつろぐところなので当然そうなります。

自分の行動を変えるには、環境をいじることです。
ちなみに、エンゲストロームと言う人が、そうした行動のことを「拡張による学習」とちょっとかっこよい言葉で表現しています。