2022年3月3日木曜日

卒業生取材の文字起こし再開

朝、パソコンを起動し開いたブラウザのGoolgeに雛飾りを描かれていて、そうか今日は雛祭りかと気づきました。
ここ最近ずっと論文執筆に集中していたせいで時の流れをあまりきちんと意識できてなかった気がします。
今日からは、昨年11月5日に開始し、今年の1月22日に最後のひとりの調査を終えた取材の文字起こしを再開しました。
全部で15名分、約15時間分ほどのインタビューです。
午後4時間ほど作業して35分間分の文字起こしが終わりました。
あまりに遠くにあるゴール。ただ、4月になりゼミや講義が始まるとこの作業を続けるのは無理なので、3月中には決着をつけるようにと締め切りを自分に言い聞かせているところです。

余談ですが、私の講義「情報社会とコンピュータ」で課題締切を2日後にしているため、毎年少数ですが、締め切りが短すぎると考えているようです(ただ、逆の人もいて、人それぞれです)。密かに思っているのですが、毎週の授業の課題締切りを「学期末までには出してね」と実質締め切り日をなしにするという実験をしてみたいな、と(しませんけど^^)。
一瞬喜ぶ学生もいるでしょうが、未提出者が続出するのではないかと想像されます。締切りを自分で内的に設定する力が弱い人は、外的枠組みを失った場合、提出すること自体が難しくなる。
自由とは厳しい現実です。
「大学生の学び・入門」という教育分野で有名な本に、自発的・自主的に勉強していくのは誰でもが難しい。しかし、一部の大学生にはそれが出来る人がいる。それは内的な枠組み作りを外的環境を利用して作り出すスキルを修得しているからだそうです。
教育社会学者の苅谷剛彦さんが大学院の学生時代だったか、24時間試験(だったかな?)というのがあって、問題をもらったらそのまま帰宅して、回答を24時間後に持っていくという試験の苦労を書かれていた本を読んだことがあります。通常は試験と言えば90分でしかも密室というかなり外的拘束されたところで行うわけですが、24時間試験はその逆です。非常に自由です。しかし、自由とは厳しさの同義語です。自由な試験の大変さは想像を絶するものだったでしょう。その人の全ての能力が試されているようなものですから。

締切を自由にするというのは、それはかなり厳しいことが要求されているわけです。
なので、そうした恐ろしい試みを授業でやる勇気は私にはありません。

今日、社会人2年目の卒業生の文字起こしをしていて、社会人となったこの卒業生は上の自由と厳しさのことを表現は違っていましたが、語っていました。
大学4年間で何を学べばよいのか。よく考えた方がいい、と。

世界が非常に厳しい状況になっています。考えるよき機会ではないかとも思います。

 

<おまけ>
この時期、シクラメンがいくつか花を咲かせています。水だけで数年間。だからでしょうが、もはや咲いても茎は上に伸びていかず、花弁も非常に小さなもの。
それでも緑があると殺風景な研究室も多少は雰囲気をよくしてくれてるように思います。