昨日も興津会カウントダウンに卒業生が登場していました。
自他共にガリラボのゼミ生が認めていた13ゼミの女帝です(笑)。
ガリラボでひのくにワークショップを経験したゼミ生であれば、女帝の意味がわかるかと思います。役柄の意味ですが、まさしく女帝そのもののように振る舞い、ワークショップとして参加している取材側の後輩へのサービスは歴代の中でピカイチでした。
その女帝は、興津会実行委員長でもありました。
12ゼミ生による10周年記念興津会に2年生の時に実行委員候補として参加して、あまりのすごさに「やばい、やばい」と言いながら帰ったと話していました。
しかし、その1年後、松崎実行委員長が仕切った興津会は10周年記念の内容とそん色ないものだったと思います(ガリラボ通信2015/11/23)。
私はあいにく不在にしていましたが、天草で教頭先生をしているOB(M15)有馬が所用で熊本市内に出てきたので研究室に立ち寄り、お土産をおいていってくれたようです。
資生堂のネームが入っています。非常にきれいなデザインで、今日、Artractのメンバーと学生GPの件で打合せをしていた際、今日の参加メンバー3年(19)岩生、中西、元山が非常に美味しいと言ってました。
3人が、昨日の時点で開けようかと話していたらしいのですが、最終的に開封せずにいたようです。この判断はなかなか難しいのでしょうが、コロナ禍前は暗黙のルールができていました。
私が写真に撮ったら開けてよい、というルールです。
なんとなく決まっていったルールですが、コロナ禍前はそれが全てのゼミ生に浸透しておりました。
私が写真のとって誰からのお土産なのかがガリラボ通信に掲載することが開封の条件となっていたのです。
卒業生はそれがわかっているので、お土産を持参してくれたときは、お土産と一緒に写真を撮るのがガリラボの慣習となっています。
で、在学生はその時点で開封し、お土産にありつけるという感じでした。
コロナ禍は色々な文化の伝承を難しくしました。
なので私が過去のことを伝えること多くなりました。
口頭で前の文化や習わしを伝えているわけで、なんだか琵琶法師になった気分です。笑
脈絡はありませんが、最後の琵琶法師が南関町におられたことをご存じでしょうか。
2009年に発行された岩波新書「琵琶法師ー<異界>を語る人々」で紹介され、語りの様子がDVD付録に収められています。私も購入しDVDを視聴しましたが、なんかすごいものでした。最後の琵琶法師の生誕120年を記念して最近映画化もされたようです。次のサイトでその様子が見ることができます。
こんな歴史的な方がすぐ近くに南関町に最近まで住まわれていたわけで、驚かされます。
<おまけ>
昨日不在にしていたのは福岡にいたからです。ハロウィンの終わったはまちはブルーに変わり、クリスマスモードへと変化を始めていました。