2022年4月6日水曜日

もやいすとの準備

天気も良く、ポカポカ陽気になりました。

新年度になり、急ピッチで授業の準備を進めているのですが、何の因果か、2度と関わることはないと思っていたもやいすとの授業担当依頼があり、ある方の依頼だったので断ることもできず、今年の担当を引き受けました。
諸事情はさておき、引き受けたからにはきちんとやるつもりです。
以前同様、もやいすとの授業を成長の場にすべく、ゼミ生にはSAとして関わってもらおうおと思っています。

支援すべき人がいると人の学びは加速します。
それを表しているのが「ラーニングピラミッド」(これについては次の通信を参考にしてみてください)。

学びとは何か。探求に終わりはない(ガリラボ通信2015/1/13

講義をどれほど受けるよりも遥かに効率的に、人に教えるという行為は、学びを強力に定着させていきます。

企業がインターンシップを受け入れる時、新入社員にインターンシップ学生を担当させることがありますが、これも新入社員教育を効率的にやろうとしているからでしょう。学生に教えることで、新入社員の会社についての学びは急速に深まっていくでしょうから。

なお、こうした教える場は、簡単に手に入るものではないので、この貴重な機会を利用してゼミ生には人を支援する能力の開発も行っていってほしい。これはつまり、リーダーとしての能力開発を意味します。

将来は、誰もが必ずリーダーになる必要があります。飲み会をすれば幹事はリーダーです。また、結婚すれば家族のリーダーとして振舞っていかないといけない。リーダーの能力って特別な場で必要なのではなく社会人になれば通常の能力して必要になるもの。

もやいすとという場を利用して、1年生もSAも双方が能力が高めるようにしていきたい。


今日はその準備のためにあちこちに依頼等のための連絡をして1日が終わりました。


<おまけ>
バタバタしながらも、お昼、本を眺めていると、18世紀のドイツの詩人がこう言っているというところに目が留まった。

「特定のことに直面しても分別を失わない者は、そもそも失うべき分別をもっていないのだ」

物事に動じないのが素晴らしいことだと思っていたけれど、この詩人の言う通り、動じなさすぎるのは頭の回路が異常なことを示しているようだ。だから、本では、詩人の言葉の後、
  異常な状況では異常な反応を示すのが正常なのだ。
と続いている。シンプルな理論ですが、興味深い内容です。