2019年3月26日火曜日

次からは3年次で内定がでる?

健軍川沿いの桜。この枝だけですが、随分と花が開きました。


その少し横に花壇が作ってあって、綺麗な花が咲いていました。
リナリア(姫金魚草)というのだそうです。
春の近づく小川沿いを歩いて大学にやってくるのは非常に楽しい。


ツマガリザクラはというと、7日目ですが、まだ「サクラサク」にはちょっと・・という感じです。


サクラサク・・・今、この言葉を学生に言っても意味は(多分)伝わりません。
インターネット以前の世代のみで、それ以降の世代にとってこの言葉は死語となっています。
数年前に、学生に話して全員がきょとんとした顔をしてました。
その時、死語になっているのを知った次第です。
当然ながら、サクラサクを伝える瞬間的な仕事は駆逐されました。
(このあたりの状況をきちんと把握しておくと、AI時代でどうなっていくかある程度は理解できるかもしれません)

さて、大学入試ではなく就職活動についてはまだゼミ生からの合格(内定)の知らせは聞こえてきませんが、少し前、気になる次の記事を読みました。

3月1日の就職解禁日に出会った学生たちのレベルの低さに、「消化試合」のように感じたと企業の人事の方々が書いている記事です(Yahooニュース)。

3月1日以前に優秀な学生層はすでに動いてしまっているからそうなっているとこの人事の方々は判断されているようです。
就職協定破棄が予定されていて、しかしその破棄は先の話のはずですが、現時点で「もう何でもありだ」と企業側は考え始めているのではないかと思われるとのこと。
実際その通りなのでしょう。
情報化、グローバル化などで企業での仕事の内容が一気に高度になってしまった昨今では優秀な人材を採用できるかどうかは、(昔もそうだったわけですが、昨今はさらに)企業の浮沈を左右するほどの重大事でしょう。
会社が倒産してしまっては元も子もないわけで、そうしたら企業側が行動を変えていくことは容易に想像されます。

そうした行動変化の結果、次からは、3年の夏のインターンシップが実質的な選考で、3年の秋から冬にかけて内定がでるようになる。
もしそうなったとき、今年3月1日を消化試合だと企業人事が感じことが、大学においては3年生で起きてしまって、3・4年の大学教育は消化試合になってしまう可能性があり得ます。
ただし、国家資格取得が条件の場合はまた状況が違うかと思います。それがどうなるかはまた別の議論が必要になると思うので、とりあえずそうした資格とは無関係の学部の学生たちについての話です。
(余談)早期に内定を出すのは企業側は実は大きなリスクを伴うはずです。内定をだしてから入社までは随分と時間が空くので、内定を出す頃に入社時期に必要な人員数を算定するのが難しいだろうと思われること、また仮に算定しても時期がずれているせいでその間に会社の状態が随分と変わり、予定していた人員での採用は難しくなり「すいません内定を取り消します」とかが続出する事態も予想されないこともなくはありません。内定通知に、非常に小さい字で、「会社側の都合によりこの内定は取り消す場合があります。その場合は1ヶ月前に通知します」とかですね、こっそりと書き込んでいる会社も現れるかもしれません。ただ、これは1回しか通用しないてでしょうけど(^^)。いずれにしても、内定通知には何らかの保証がついてないと怖いですね。


3年次で優秀な学生と企業側が判断する「優秀さ」は、高校まで教育と大学における初年次でほぼ決まることになります。
本人の一生にとっての教育という意味では、大学の4年間について有効なカリキュラムを作って提供することは重要ですが、その効果はなかなか指標として簡単には可視化できません。
可視化できる「就職率」あるいは「どういった企業に就職しているか」というのが指標となり、それを重視する大学の場合、大学では1・2年生での教育が極めて重要だということになるでしょう。
学生たちにそのことを強く訴え、その上で、大学が持っているリソースのほとんどを1・2年次に投入するというのが優れた大学経営になりそうです。
もうすでにそうしたことをやっているのかもしれませんけど。

企業側が自前での人材育成の余裕がなくなってきて、大学教育に期待をしていることは、色々な場面で明らかですが、その一方で、上記のような採用が始まっているわけです。
非常に矛盾した状況が生まれているように思います。

大学って何を意味する社会装置であるのか、そこでの4年間の教育はどういう意味を持つのか、中等教育と接続する高等教育ってどうあるべきか、そういったことが国全体で議論が必要でしょうし、すでにもう議論は始まっているのかもしれません。そうでないとグローバル化した社会を生き抜けないでしょうから。
大学内の会議での発言を聞くとよく感じる、私なども信じて疑わない一定の大学像があります。その認識は今後さらに解体され(これまでの大学改革で随分と解体されてきましたが)、再構築が進んでいくのに違いありません。


最後はややこしい話になってしまいました。

とりあえず、ゼミ生(現2年生以下)に直接降りかかる大事なことは就活の動きが確実に早くなるということ。
どう準備すればよいのかもちろんわかりませんが、とりあえず大事なことは、甘えを捨て、自律を早めることですかねぇ。
現3年生がエントリーシート(ES)をどう書こうとワイワイ話題にしていた時、最近、この光景が繰り返されているように思いました。
昔、ESの書き方を自主研究するグループを作っていたゼミ生がいました。
それからすると、なんだかちょっと自律性が弱い。チームワーク力が弱い気がします。
そうしたグループのことを思い出し、3年生に、先輩のを「必死」でかき集めて、どういったものが1次をパスしているのか、それらを「冷静」に分析をすればいいじゃないかと伝えておきました。
必要な情報は徹底して集め、そしてそれらを詳しく分析する。
近年、就職先として学生に一番人気の商社とかは、こういったことを徹底的にやっている会社です。もちろん企業であればどこでもやっていることです。
情報収集のために「手足を動かす」こと、そして集めた後は分析のために「頭を使う」こと。
要するに、体と頭の両方を普段から訓練しておくことことが、就活においても大事ではないか、と。
そう思います。
そんな学生を前にしたら、人事の担当者も、消化試合とかそういうことは言わないでしょう。^^





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