2019年6月16日日曜日

「銀行員の未来予想図」について

昨日は地方公務員の未来予想図というエントリーを投稿しましたが、今朝方「地銀マンの給与はバス運転手と同じになる」との刺激的なタイトルの記事を目にし(こちら)、読んでみました。
そこには、これまで安定と信じられていた銀行員について、
県庁か地方銀行か農協? 地方で比較的高い給料をもらえる安定的な就職先として地方銀行を選んだ人からすれば、これからは厳しい時代かもしれない。

という未来予想図が描かれていました。就職先については、確かにこの選択パターンは地方大学である本学でもその通りでした。しかしながら、フィンテックなどの広がりなどもあり、地方の銀行はかなり厳しい状況にあるようです。
それで、この記事のライターさんは、
自ら専門知識を身につけ、プロとして生きていく覚悟が必要になる。

と書かれていました。
これは、昨日のエントリーで、公務員が目指すべき方向性として述べたことと同様です。
しかし、公務員ではなく、銀行員です。
銀行員は、本来その道のプロであるはずなので、上の文章は矛盾しているようにも思います。
ただ、よく読むと、現在は、従来のやり方でのプロであって、激変といっても良い変化をしている金融業界におけるプロ意識が弱いということでしょうか。
そうしたプロ意識を持ち、新しい領域についての学習を重ねている銀行員については、記事では、
フィンテックの広がりで、金融技術を使ったさまざまなサービスが生まれている。広義の金融業界は縮小することはないだろう。いくらでも転職するチャンスはあるということだ。

と述べてありました。金融業界がなくなることはない。しかしながら、その仕事のやり方が変わっていってるわけで、そうした新しいスタイルに向かっていくプロ意識が弱い人たちがまだ多いということでしょう。

ところで、ここにも「転職」という言葉が出てきています。「移動の民」という言葉を先日も使いましたが、この方向はこれからの主流になっていくのだと思います。

ところで、この記事もタイトルが「地銀マンの給与はバス運転手と同じになる」と地方銀行をバスと対比させていますが、この理由は政府の「未来投資会議」での両者の扱いにあります。これついての記事での解説は次の通りです。
ちなみに、今回の政府の計画案では、地方銀行と路線バスが「地域基盤企業」として同列に扱われている。路線バスは実際にその地方を走っていなければ意味がない、まさに地域の基盤インフラだ。だが、金融業はインターネットの発達や他業種からの参入などで、必ずしも地銀だけがそのサービスを担っているわけではない。
仮に、損益に関係なしに、地域のインフラとして地方銀行を残すと国が言っているのだとすれば、それはバスの運転手と地方銀行の銀行マンの給与水準が同じになることを示唆している。赤字の銀行の社員が比較的高い給与をもらい続けることは不可能だろう。地方銀行の社員の給与が下がれば、優秀な人材は金融業に参入する異業種へと移っていくに違いない。

これまでと比較すると厳しい未来予想図が描かれています。
県庁か地方銀行か農協かとの選択肢から選び、プロ意識が弱い状態で働いてきた人たちにとっては、今後10年間が、ほんと厳しい未来予想図となりそうです。
ただ逆に言えば、能力を上げておけば明るい未来になるわけで、悲観するばかりでもないでしょう。優秀な人は引き抜かれていくでしょうから。

たまたま昨日から似たような記事を読んでしまったので、連続で似た話題のガリラボ通信となってしまいました。
ただ、この記事を読みながら私自身が思っていたことは、2つ事例は大学に同様に該当するだろうということでした。
金融業界が消滅するわけでないにも関わらず、地方銀行は厳しい未来が描かれています。
これと同様、高等教育という領域が消滅することはないにしても、そのやり方が今までと同様、永遠に続いていくことはないでしょう。少子化、人口減少という条件は、間違いなく大学にも課される条件です。
高等教育の分野で、質的な変革が今現在始まっているのかどうかは私にはよくわかりませんが、昨日とこのエントリーに記載したように社会がこの10年で変革するわけですから、それに接続している高等教育が何も影響を受けないということは考えられません。

今現在の大学生たちには未来の高等教育は間に合わないわけで、将来の自分を守っていくため、自力で考え、そして自力で学んでいくしかないのかもしれません。


 

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