2019年5月8日水曜日

週刊紙の特集記事を読み思ったこと

次は「週刊東洋経済5月11号」の見開きページ(20〜21頁)のコピーです。
何十ページもの特集で両大学が比較されていて、扱いの大きさに驚かされました。


数字をみればその理由がある程度わかります。
早稲田の卒業生64万人、慶應の卒業生は37万人で、併せて100万人の社会人がいます。
互いにライバルと感じている卒業生は多いでしょうから、この記事が気になる社会人が100万人ほどいるわけで(歴史は100年以上あるわけで、存命な方がどの程度なのかはよくわかりませんけど)、存命している卒業生が読者になる可能性があるわけです。
週刊東洋経済は毎週10万部弱を売り上げているようなので、100万人は大げさにしても、かなりの潜在的読者を確保できる可能性のあるわけで、その意味でこの記事は発行側からみてとかなり魅力的ではないかと思います。
なお、読者層には高校生を子どもに持つ親も多いでしょうから、そういった人たちもこの特集への食いつきは良さそうです。
理由は色々とあるのでしょうが、上のように考えると、なぜこうした特集が企画されるのか理解できます。

メディアに接する際、見る側、読む側に立っている私たちですが、逆の立場、見せる側、読ませる側に立つとまた違った論理がそこにはあるわけで、そっち側に立つとコンテンツの持つ意味合い、見方とかが随分と変わります。
メディアの情報は、いつも双方の視点に気を付けていたいものです。
3年生は、6月下旬から売る側の視点で記事を作成する課題(ひのくにワークショップ)を始めます。参考にしてもらえればと思います。


ところで、上記特集記事の中で両大学の同窓会のことが書かれていました。
なんかすごいというのが私の印象です。
具体的なことは省きますが、慶應などは、卒業生人脈を積極的にビジネスに生かそうしているようです。
なぜか、同じところを「出た」「いた」というだけで、人間、親近感が湧くものです。
私は宮崎の高専を卒業したのですが、なぜか高専の卒業生は全国的な一体感があり、Facebookに「高専ネットワーク」なる出来ています。
私も参加していますが、全く知らない人でも、高専卒ということでかなりの親近感を覚えます。
不思議なものです。


ガリラボは、県立大学という全体の同窓会の中の、特定の同窓会とみなせます。
学生時代に同じ課題をやり、また多くが玉名で活動したりして、同じ空気を吸ってきた人たちという共通性を持つ集団です。
おそらく、年齢が違っても、どこかで出会うことがあれば強烈な親近感が湧くのではないでしょうか。
同窓というのは、ほんと不思議な吸引力をもつものです。
その吸引力を作り出すため、ガリラボという同窓意識を積極的に生成しているエンジンの役割は、現在のところ、私と在学生が担っています。
なので、その駆動力は数年後には消滅するでしょう。
私や在学生がいなくなっても自律的に動くようになっていくと、仕事とかにおいてガリラボ卒業生のネットワークが今後も生していけるのでしょうけど、難しいでしょうねぇ、きっと。
どういう仕組みがあれば延命できるのか、よくわかりません。
ひとつは名簿かもしれません。
私の中だけに連続している存在している名簿を誰でも共有できるよう可視化すると、それがエンジンになって、多少は延命できるのかもしれません。

ただ、どう抵抗しようにも、時間が経つのに従って、ガリラボという存在は徐々に消滅していきます。
ですが、県立大学の卒業生という立場は残っていくはずです。
私が今だに高専卒という意識を持ち続けているように。
本学は、地域において特別な立ち位置を持っているはずです。それがあるので、本学の同窓会というのは、実は、かなり大きなポテンシャルを持っているのではないかと思っています。ポテンシャルが、良い意味で顕在化していくと卒業生にとっても、大学にとってもいいことでしょうけど。








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