2021年1月17日日曜日

マスクの学びへの影響/学びの原初的な姿?

初めての大学入学共通テストが終了しました。
試験監督をやっている分にはこれまでのセンター試験と特に何も変わらず・・・でした。

違っていたのは、試験の内容ではなく、コロナ対策です。
休み時間は窓全開(今年はあまり寒くなったので問題ありませんでした)、マスクを着用していないと受験できないということでした。
朝から夕方までずっと着用していて受験生も大変だったろうと思います。

前日にそんな光景をみていた後だったからか、今日の熊日新聞のコラムに目が留まりました。
マスクで口元が見えないことは聴覚障がい者にとってはかなり問題だということはわかっていましたが、乳幼児の発達の問題に気づいていませんでした(現在、身近に乳幼児がいるのに関わらず)。

模倣が学習の基本です。
オリジナリティとか、創造性とかも、模倣からです。
模倣をやりにくいとのは、学習論の言葉を使えば、学習のリソースへのアクセスが精減れてしまっているということです。
人は、学習のリソースへのアクセスが保障されていると、自然に学んでいく生き物です。
他者をよく観察して模倣していく力が学びの原動力となります。
それは大人も全く同様で、大学生などなおさらでしょう。
それ以上に、コラムにあるように、子どもたちの未来を考えるとマスク越しというのは問題が大きいでしょう。


次は生後2カ月ちょうどの乳児と4歳のお姉ちゃんの様子です。
(撮影2021/1/16)

赤ちゃんの動きは非常に無茶苦茶で、ランダムに手足を動かしますが、それが徐々に人としてスムーズな動きを獲得していきます。
そうした学習が、模倣によってスタートしていることを示唆する映像のようにも思えます。
人として学びのスタートの瞬間を見ているのかもしれません。

0歳児から人としての学びはスタートしています。
学びとは脳の回路の新設や修正をする過程なので、楽ではありません。
基本的に苦しいものです。
なので、踊っている乳児がもし言葉を話せたら「めっちゃ、大変」というかもしれません。

体の使い方を学ぶ、母国語となる言葉を学ぶ、どれも大変な労力だろうと思います。
この意味で、どんな人も、乳幼児の時はものすごい勉強家でした。
自分の生存をかけた学びをやっていました。
そうした学びがそれ以降も継続していく人、ある時から徐々に衰退し、どちらかというと学びから逃走するようになる人。
できれば、前者でありたいですね。

MITのメディアラボの副所長までされた日本人研究者の言葉が忘れられません。
いつまでも最高の生徒でありたい。

ほんとそう思います。