2018年9月2日日曜日

何十年ぶりの母校訪問で感じたこと

次の写真は、今日、愛知県豊橋市で大学同期が見つけて送ってきたものです。
人口40万人ほどの地方の中核都市で、名古屋のベッドタウンとして新幹線の駅も
あり、ほどよい都会で、さらに海岸に近づいていくと昔の田園風景が広がっています。
「ほどよく田舎、都会」という言葉はそれをよく捉えていると思いました。


昨晩、還暦同窓会で36年ぶりに会う同期と旧交を温めてきました。
午前中、母校に立ち寄ってきました。
「ほどよい田舎」の有り余る広大な敷地に建設された母校は、敷地のほとんどは
芝生で昔は随分と閑散としていたはずですが、その空き地には色々な新しい研究
所が立ち並んでいて驚いたのと、さらにそうした研究施設以外にも随分と変化して
いることに驚きました。
スーパーグローバル大学事業に選定されていることもあるのでしょうが、変化が目立っ
たのが、外国人研究者の短期滞在施設、日本人と外国人留学生が同居する国際学生寮が
建設されており、それ以外にも学内いたるところにグローバル化に向けた取り組みが
目立ち、あちこちの注意書きが日本語・英語の両表記になっていて、留学生も随分と
増えていることがよくわかりました。
理系の単科大学であるのでグローバル化は必須なのかもしれません。

卒業以来、36年ぶりに会う同期生たちにも会って、同期を目の前にしても、顔を
見ているだけではどうしてもわからない。笑
名札を見てどうにか・・・、それで分からない時は、どこの研究室だったか聞くと、
なんとか記憶が呼び覚まされ、辛うじて思い出せたりしました。
一緒に過ごしたのは2年間ほどで、しかも研究室ではなく、ほとんどは授業を受けて
いただけの関係であったのにも関わらず、記憶に残っているというのは逆に驚きでも
ありました。
電気と情報の2つの学科で80名ほどが2年間、同じ教室で授業を受け続けると、
36年という時の長さを経てもなんとか記憶を辿れるようです。

ガリラボでは2年半ほど密な関係を過ごすことになります。
否が応でも記憶がクリアに残っていく関係になっていくのでしょう、きっと。





以下、上とは脈絡はないのですが、朝、ホテルで今日の朝日新聞に目を通していたら
「日曜を想う」と言うコラムに目が留まりました。次はその最後の部分だけですが、
胸に突き刺さりました。言葉を使って闘う方だったようです。
愛がない。
ごく最近もそんな発言を身近で聞くことがあったので、傲慢になってないだろうかと、
今一度自分自身も見直して行きたいと思います。




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