2021年4月15日木曜日

熊本地震から5年、コロナ禍から1年

 熊本地震から5年が経ちました。5年前は、13ゼミ生が4年生、14ゼミ生が3年生でした。活発だったゼミ生たちは、地震(前震)が起きた夜は、勉強会をしておりました。

がリッジ塾の誕生 (ガリラボ通信2016/4/15

勉強会が終わってみんなで研究室でくつろいでいた時に前震に襲われました。それからはてんやわんやです。
上の通信を見ると、発行が夜の3:26になっています。9時半の前震から飛び出した私は学内を飛び回っていて、この時間になって落ち着いたようで、書きかけの通信を副学長室から発行したように思います。

徹夜となり、あくる日も学内のチェック作業をやって週明けからは授業が再開できる状態であることを確認して夕方帰宅してからの深夜1時半ごろに、前震よりも大きな被害を出した本震に襲われました。

あんなにひどい状態だったのに、5年も経つとやはり記憶が薄れていきます。自分自身が記録を取ってなかったので(現場で災害に対し直接向き合っていると記録を取るなどとても不可能でした)、その時にどういうことをやっていたのか明確なことがどうしても思い出せません。断片的にガリラボ通信にはその時の様子を書き留めていますが、これはあの時、次々に起きる事態に対応していった状況についてはほとんどが抜けています。

どうにかして記録を残しておくとよかったと今更ながら思います。

また、この当時を見返すと、ゼミ生たちと頻繁に活動や勉強会をやっていたことを思い出しました。
熊本地震からゼミを復興していく過程はゼミ生との活動が活発になったように思います。

一方、コロナ禍の中の現在。他者との接触を避けることが重要な対策のせいか、昨年の緊急事態宣言以降、ゼミ生との連携が急速に減ってしまった気がしています。

物理的な距離が遠くなった分、社会的距離(心理的距離)も遠くなってしまった。
同じ災禍でも内容によって随分と異なる様相になるものです。当然でしょうが。

教員生活の最後を過ごすことになる現在のゼミ生たちと最後は何か残していきたいとは思いうのですが・・。
そのためにはこのコロナ禍をどうにかして克服しなければと・・。


<おまけ>

次は、本震から5日後ぐらいに通常営業したコンビニ写真です。地震後ずっと暗闇であったところにコンビニの明かりを見つけて、言いようがないほどの嬉しさと安堵感を覚えたことを記憶しています。いつもあること、日常というものの大切さをコンビニの明かりで教えてもらった日でした。