2021年4月29日木曜日

1日に何かひとつは見つける

 今日は休日ですが、大学は授業日です。ただ、新型コロナウイルスの感染拡大でほとんどの授業をオンラインに移行するようにとの指示があったせいか、今日の大学はかなりひっそりとしています。
休日と変わりにない静けさに包まれたキャンパスでした。

朝から、静けさ中で授業準備をしていましたが、LINE公式アカウントから流れてきたダイヤモンドオンラインの記事

いつの間にか成長している人の秘密、「1行書くだけ日記」で可能に?
https://diamond.jp/articles/-/268288

に目が留まりました。「1行書くだけ日記」というのも出版されているようです。本の表紙に「劇的に変わる!」という言葉がありますが、たぶんそんなことはないでしょう。

劇的に変わる感触を得ることはないと思います。ガンジーの言葉通り(ガリラボ語録にも載せているものですが)、

善きことはカタツムリの速度で進む

のであり、その時々では進んでいることはたぶん分かりません。前進していることがわからなくても、それに取組み続けた人が、長い年月を経た後になってようやく変化に感じるものなのかもしれません。

1行日記については、秋元康さんがかなり昔の本の中で語っておられました。これについて、

1000回~ひとつの変革の時を迎えてガリラボ通信2011/9/18

で触れています。もう10年前の通信です。この中で向田邦子さんの言葉「1日何かひとつ面白いことを見つけよう」というのを守りながらその後10年間通信も継続しております。

面白いことを見つけたときのためにデジカメを携帯して撮影することが癖になってしまいました。このエントリーで5,682回ほどになります。掲載している写真点数を調べてみたら、2万点ほどになっていました。

ということで、私は、1日日記的なものを10年以上続けてきた経験者です。
さぞや劇的な変化を感じているかというと、全くそんなことはありません。何かの変化はあったのかもしれませんが、感じることは、今現在の私がここにいることぐらいです。
では、もしもガリラボ通信という日記を始めていなかったら、どうなっていたのでしょう?
その時も、その時の私が今現在そこにいるだけであろうと思います。


偶然でしょうが、今朝がた読んでいた山本周五郎の小説「長い坂」の中で、物語の主人公「三浦」がやってることを余計なこと、疎ましいことと見えている小屋頭に対して、酒で酔っている森の番人「大造」がこんなことを語るシーンがありました(上巻411頁)

「樹を伐ったあとに苗木を植える、こんなちっぽけなやつをな」彼は両手でその大きさを計ってみせた、「-このっくれえの苗木だ」と彼は云った、「こんなものがなんになるって、人は云うだろう、こんなものが何の役に立つってな、こいつが役に立つまでにゃあ おらあ死んじまうってさ、けれども、小屋頭はせっせと苗木を植えているじゃねえか」
「それとこれとは話が違うわあ」
「実際の役に立つ、誰かがしなければならねえこと」と大造は独り言のように云った、「-こうい云うと青っ臭え、子供じみたことのように聞こえるかもしれねえが、おらあこの世は、それでもっているんだと思うぜ」


このシーンにマーカーを朝引きました。偶然と書きましたが、このシーンを読んだから、今日、一行日記のことが目に留まったのかもしれません。

ちなみに「長い坂」を読むきっかけになったのは、國學院大學が色々な分野の第1戦で活躍している方々から学生に対して1冊の本を紹介してもらうプロジェクトを行っていて、ある2人の方がこの小説を取り上げておられ、それを通して知った本でした。面白い小説です。

これからも何か1日にひとつは面白いことを見つけ、そしてそれを記録しながら日々を(できるだけ)前に進ませていきたいと思います。