2021年4月9日金曜日

新年度、中学生の通学風景を前に考えたこと

健軍川沿いを歩いていると、眩しくなった緑と花々が目に入り、新しい年度が始まったことを感じます。

昨年の今頃、何をしていたのか、ガリラボ通信でその頃を振り返ってみたところ、近くの中学校の前で感じたこと書いているエントリーがありました。
「沈黙の学校」の前で考えたことガリラボ通信2020/4/5
このエントリーを開くと、今年はもう完全に散っていますが、去年の今頃は桜はまだ満開だったようです。

さて、昨年の今頃、私も生まれて初めて目にする光景が目の前に広がっていました。
春が来たのに子どもたちの声がしない、沈黙の春。
わずか1年前のことですが、もう遠い昔のことのようにも思えます。

あれから一年、変化は劇的でした。しかし、人は慣れるのは速い。
どういった変化だったのか、もう分らない状態になっているように思います。
問題は続いているものの、生活は比較的安定している。
この1年で(探検的)散歩が趣味になった私ですが、それもずっと前からやっているように感じています。
新型コロナウイルスと共存するウィズ・コロナの時代をいつの間にか作り上げているのかもしれません。

さて、川沿いを歩いていると、制服姿の中学生が楽しそうに友達と歩いているのをみかけました。
昨日までは見なかったので、今日から新学期が始まったようです。
昨年はこの光景を見ることなかったわけで、感慨深いものがありました。
コロナとの戦いはまだしばらく続くでしょうが、それでもこれまでの格闘の中で培ってきた知恵で一定程度のコントロールができるようになったことを楽し気な中学生の姿は教えてくれているように思います。


今日は、おととい届いた
  学校が「とまった」日 ~ウィズ・コロナの学びを支える人々の挑戦~
という本を読了しました。小・中・高の児童生徒、先生たち、保護者さらには外部の支援者が学びの継続のためにコロナにどう立ち向かっていたのか、その姿を調査によって描き出したものです。

大変興味深い内容でした。ガリラボという場の特徴を考えて、学びの継続という話題だけ紹介しておこうと思います。
緊急事態宣言下、全国の学校が休校になっていた時期、学びを継続できた子どもたちがいました。それが何に起因していたのかをこの本を著者たちは調査によって突きとめています。
学びの継続に影響を与えていたのは、いくつかありますが、代表的な因子が
 生活リズム と 学校での受容感
ということでした。
生活リズムが影響するだろうなとうのは何となく想像できます。
これについては昔から私もガリラボでは口を酸っぱくして話していました。朝起きて朝食をとり、そしてお昼12時に昼食をとり、そして夜になって夕食をとり、深夜にならない前には寝る。夏休み中でも、こうしたリズムを保つことが日々の躍動感につながっているのだと、(最近はあまり雑談をしないので話してない気もしますが、昔は)よく話していました。
大事なことだ思うので、改めてこの場でも力説しておきます。
生活リズムを作ることが生き生きと生活していくための必要条件です。学生時代にたくさんの経験をしたいのであれば、(機械のように)生活リズムをきちんとしていきましょう。

もうひとつの因子は「学校での受容感」ということでした。これは、休校になる前の状況のことで、学校に普通に通学していた時、友達や先生たちとの距離感のようなものです。自分がその学校や教室にいていいという、自分という存在を認めてもらっている感覚のようなものだろうと思います。それがある子どもたちは休校後であっても他者とのコミュニケーションを絶やすことがなく、それが学びの継続をプラスに影響していたというのが調査結果でした。
学校がとまったという状況は緊急時です。そうした緊急時の過ごし方が、つまり、平常時の状況が強く影響しているということです。
これもすごくよく分かります。
緊急時と平時とは非常に密接な関係にあることは熊本地震のときに深く、深く理解させられたことでしたので。
何気ない普通の時、常日頃のこと。日常をこそ、みなさん大事にしていきましょう。
日常でこそ色々なチャレンジをして可能性を広げておくことが非常時において大きな意味をもってくると思います。




長くなりますが・・・
「学校での受容感」という言葉をみて、内田樹さんのブログのことを思い出しました(熊日の山口さんに教えてもらったブログです)。
オンライン授業が大学授業のそれまでについて問いかけたことが書かれたブログです。

コロナが学校教育に問いかけたこと 2021/2/21

2020年度、大学はオンライン授業化に向け、日本全国の教員があたふたと準備をしました。チョークしか持ったことがない人もなかにはいたはずですが、その人もオンラインという先端的な領域に放り込まれたのでした。
大学教員の悪戦苦闘ぶりを誰か書籍化してくれると面白そうですが、売れないでしょうから、誰もやらないでしょう。
旧石器時代を生きているような人も現代に無理やりと連れてこられて・・という感じだったわけで、そんな中で必死でやってようやく、それっぽいオンライン授業が始まりました。
旧石器人も含め、全国多くの教員がユーチューバーとしてのデビューを果たしたのでした。
当初はハード的なトラブルも多発し、「動画が止まって視聴できないんですけど」とか学生からのブーイングもたくさん来て、その対応にあたふたしながら授業を続けているうちに、ある時、大学教員はあることに気づいたのだそうです。
いつもに比べなぜか脱落者が少ない!
例年だと5月ぐらいは徐々に欠席者が目立ってくるのに・・・オンライン授業ではそれがあまりなかったのだとか。
他人事のように書いていますが、私の授業は例年通りでした。最初から一度も参加しない学生はいますが、一度受講を始めると最後まで受講するのば私の講義でのパターン。オンラインでもそれは同様でした。なので内田さんのブログのパターンばかりであったとは思えませんが、脱落者が少なくなる授業は多くなったのでしょう。

内田さんは脱落者が出る原因は、自分の存在意義の問題だとこと。
コロナ禍前、大教室で自分がそこにいてもいなくも構わないような授業が繰り返されると、自分の存在意義がよくわからなくなるというのはあり得ること。
そうなると、自然と授業を受けなくなり、別のところに存在意義を見出していく学生も当然ながら出てくるでしょう。アルバイトがそうかもしれません。
オンラインになって課題を毎回出すことが求められました。それが、受容感につながり、結果、脱落者の減少につながったのだと内田さんは話されています。
確かに、オンライン授業だと個別の学生にリーチしやすくなりそうです。
そういうこともあってオンライン授業の評判は、当初想像していたよりもはるかに悪いものではありませんでした。
熊本県立大学でもオンライン授業についての感想はあまり悪くなかったのではないかと想像しています。

ただ、ここで注意しないといけないことがあります。
それは、昨年度、オンラインは全教員初めてだったというこです。
1回目というのがかなりのアドバンテージとして働いたのではないかと私は思っています。
何でもそうですが、始まりの時はみんな一生懸命で、使っているツールに不慣れで、あたふたしながらやっているわけです。
傍目にみてもスマートさはあまりなかったはずですが、一生懸命であったことは間違いありません。
初めてのことなので、一生懸命にせざるを得ません。
私もそうでした。かなり一生懸命になりました(授業内容も随分と再検討し、かなりの見直しをしました)。
教員のその一生懸命さが組み込まれた授業に、学生たちは共感したという面もあるのではないでしょうか。
授業の下手な新人教員に対する授業満足度は高い傾向にあります。それは一生懸命さが伝わっているからです。
教育という営みの大事なポイントだと思います。

昔、ある地域で小学生の学力向上のために、先生たちに新しい取組が求められてました。A小学校は「底上げ型」授業、B小学校は「習熟度別型」授業をやって、それぞれの小学校で試行錯誤しながら先生方が一致団結して授業を作り上げていかれました。
研究会があるとそれぞれの小学校の先生方が自分たちの方式の意義を別の小学校の先生たちに熱く語ったおられました。
結果はどっちが良かったか!?
実は、結果は、どっちの小学校も同じぐらいに学力向上を果たしたのでした。
方法はほとんど関係なかったのです。

昔、100マス計算といのが流行りました。山口県の光小学校(だったかな?)が発祥の地だったと思います。100マス計算でトレーニングした子どもたちの学力が驚くほど向上し、それで100マス計算は日本全国に普及したのです。
しかし、効果は日本全国にはまったく波及しませんでした。
100マス計算というツール自体が素晴らしかったわけでなく、100マス計算という、それまでにあまりなかった新しいツールを教育に導入しようと奮闘した先生たちの頑張りが子どもたちに伝わったから、子どもたちに深い学びをもたらしたのだと思います。
(なお、100マス計算だけでなく子どもたちの生活面についても保護者との協力してきちんとさせていったそうで、トータルでのかかわりが重要だったようです)

上で述べた「底上げ型vs習熟度別」という事例は、今の「オンライン型 vs 対面型」というどういうツールが良いかという議論に似ているなと思います。
世の中の議論がどうなっているかフォローしてませんが、オンラインに熱い注目が集まっているのは間違いないでしょう。
ただし、それへの過剰な視線を送るのはどうなんでしょう。
教員が慣れてしまえば、オンラインの背後にいるのは、オンラインが普通になった教員なわけですから、学生の受容感というのがどういう感じになるか、なんとなく想像はつきます。
オンライン化という議論の際、そのあたりの教育という営みの重要な部分の議論をあまり聞いたことない気がします。
また、学生たちの評価については聞きますが、教員はどう思っているのでしょう。その辺りのきちんとした調査はあまり見聞きしたことない気もします。
 
・・・・脈絡がなくなりました。疲れてきたので、この辺りで終わります。
とりあえず上記の本を読了し、次につなげていくには、きちんとした調査は大事だなということを書き留めておき、終わりにします。
 


<おまけ>
県大前通りのイチョウ並木。きれいです。