2021年7月28日水曜日

タマにゃんず広報チームの企画/ハイハイへの挑戦

コロナ禍は、私たちの歩きの足を引っ張ってくれます。
例年だとこの時期には、みんな毎日必死に作業していて、それで随分と先を歩いています。
今は、打合せがオンライン、また作業もなかなかできないため、徐々にモチベーションが失われて、それでさらに作業が遅れていくという・・・悪循環になってしまっています。

対面で頻繁に会っているのは、作業が進んでいないときに力を発揮するもの。
やるべきことが明確で、作業も順調に進んでいるときは、オンラインは極めて快適ですが、そうでないときはオフラインが良いようです。
プロジェクトを自律的に進めていく力の弱い場合は、特にそうです。
学生の場合、そうした力はかなり弱いものです。
仕方ありません。そうしたプロジェクトを経験したことがないのですから。
だから、学生時代は、自らがエンジンになって前に進んでいく力を、プロジェクトを体験してながら身につけ、社会人として巣立っていくべきです。

今日は少しだけ進みました。チームタマにゃんずの広報チーム(リーダー4年(18)村田)が、次のイベントを玉名市と連携して仕掛けることが決まりました。

こうやって歩いている状況が具体的に可視化されるのは良いことです。
可視化された結果を手掛かりに、次にまた進めますから。
何でもいいからとにかくアウトプットを出さないといけません。
失敗していてもよいから見えるアウトプットを出さないといけない。
一歩進んだ人だけがゴールに辿り着けます。

(参考) ゴールに辿り着けるのは一歩踏み出した人だけガリラボ通信2013/9/1




ハイハイというスキルの発見(発明)の現場に遭遇して

2人目の孫は現在8カ月。もう8ヶ月ですが、まったくハイハイをしようとしません。ゴロゴロしているだけ。気配も感じられません。

先日、iPadで「しまじろう」をたまたま見せたら、興味を持ったようで、手を出そうとします。
「これは!」と思い、iPadをギリギリ手が届くか届かないかのところに置いてみました。
お腹が床にくっつき、手と足を空中でバタバタさせています。
ほとんど亀状態です。
そのうち泣き始めました。
iPadを触らせてやりました。嬉々として触りまくります。

そしてまたちょっとだけ離してやりました。またバタバタしてます。
が、それを繰り返していたら、ある時、足が床にあたり(蹴った感じになり)少しだけ前に進ました。

コツをつかんだようです。
超ぎこちないのですが、前や斜めに進むようになりました。
前に進むとiPadをまた遠ざけ、動かないとそのままにしてを繰り返していると、「しまじろう」という目標に、泣きながらでも必死に近づいていくではありませんか。
かたつむりよりも遥かに遅い速度で。
泣きながらもなんとかその動きを止めなかった。

その翌日から、自分で、ハイハイができるようになりました。

これは大人でも同じです。
新しいことは誰も最初は出来ません。
身近な目標を設定し、そこで試行錯誤して目標に近づく方法を発見していくことが大事。
孫息子は、泣きながら、本人にとって超難問の課題を前にして、手足バタバタという試行錯誤を繰り返していました。
その結果、ハイハイという新しい次元の(本人にとっては)未知のスキルを学習し、修得したのでした。
試行錯誤を諦めず、そうやって体の動かし方を自律的に学習していったわけです(AIの機械学習と同様ですね)。

人は誰でも生まれながらに知ることを欲する、といったはアリストテレスだったと思います。それと同様に、人は誰でも生まれながらにして学習者でもあります。

自ら一歩踏み出す人は学習者です。そして、そうした人だけがゴール(新しい次元)に、それまで見たこともない世界に辿り着けます。
ハイハイを獲得する赤ちゃんはみんな立派な学習者です。

学習者に年齢は関係がありません。若くても学習者でなくなる人もいますが、一方で高齢でも学習者である人もいます。
好き好きなのでどっちでもよいとは思いますが、私自身は学習者であることをやめたくないと思っています。いくつになっても自分の力で新しい世界を見てみたいですからね。