コロナの感染拡大によって全国各地の大学でクラスター発生のニュースを出るようになりました。
ガリラボもしっかりとした対策を取るため、作業については予約制を取ることを昨日、4年(17)岩奥ゼミ長との打ち合わせで決めました。
その後、早速ですが、岩奥が予約サイトを制作してくれました。
さらに、そのマニュアルまで作成しており、昨晩のうちには在学している全ゼミ生にLINEを通して周知してくれていました。
頼んだとき、ここまで高いレベルなど考えていなかったので、大変驚きました。
評価は、実績と期待値の比率で決まります。私の中ではかなりの高評価であったことは言うまでもありません。
(中略)
さて、私が岩奥に頼んだのは、「予約ができるようになるといいね」でした。
それから色々とネットで調べ、ガリラボ用にカスタマイズして運用できるようにしたわけです。数時間のうちには出来上がっていました。マニュアルまで!!!
今は、フリーでほんと色々なものが手に入る世の中になりました。
私たちは、岩奥がお手本を見せてくれたように、フリーのものを上手に組み合わせて、やりたいことを実現していけばよいわけです。
今後はそうしたやり方=ネット上に散らばっている個別的なツールを集めてきてそれらを組み合わせていく(ブリコラージュ)力が大事になり、それが出来る人=器用な人(ブリコルール)が求められていくでしょう。
こうした力がどんな時に身についていくかというと、意外に雑用をしているときではないかと思います。
例えば、ゼミにおいて中心となる課題を私が提示して皆それをクリアしようと頑張ります。
その時に身につく能力がもちろん重要です。
ただその能力を発揮していくには、その能力を支える裏方のような能力が必要ではないかと思うのです。
仕事になると実はそこすごく大事だったりします。
そうした影の能力のようなものは、雑用の中に埋め込まれている気がします。
雑用を頼みやすい人がいます。
今だと岩奥がそうで、歴代のゼミ長はだいたいそうでした。
そうした人はブリコルールとしての能力を気づかないうちにトレーニングしているのではないかと思います。
こうしたトレーニングは、いわゆる「隠れたカリキュラム」という言葉でも捉えることができるのかもしれません。
隠れたカリキュラムは、状況に埋め込まれる形で学習が進むものです。
ゼミの課題のようなピュアな本筋の部分についてはオンラインでも実行可能ですが、この状況に埋め込まれた部分はオンラインではかなり難しい(不可能?)ことを感じています。
近くにいて、「ねえ、ちょっといい」「あ、それがいいんじゃない」という具合に同じ空間の共有している人たちとだけがその学習空間を共有し、隠れたカリキュラムを駆動している気がします。
リアルな空間を共有できている人たちは、オンラインだけでつながっている人たちとは長い時間が経ると随分と違うものになっていくのに違いありません。
なお、今現在まったく大学に来れない大学生が多くいるわけですが、そうした学生たちには隠れたカリキュラムがまったく作業しないはずです。
オンライン世界は他者がほぼいない世界でもあります。
オンラインの中で、自分の世界で、ピュアのカリキュラムによるトレーニングだけで生きていったとき(純粋培養みたいなものですね)、果たしてその結果はどうなっていくのでしょう。
予約システムを早速利用して、4年(17)三角がArtractの映像づくりにやってきました。
横は、そのシステムを仕上げた管理責任者の4年(17)岩奥です。
ソーシャルディスタンスを取りながら、2人で映像づくりを進めているようでした。
しばらくはこんな感じでの作業を進めていくことになるでしょう。
オンラインが極度に進行していくと、大学に来れるはずなのに徐々に研究室に来なくなり、そして特に意識していないと、徐々に大学からそして研究室から遠ざかっていき、気づいたら何もやっていないということになります。
仕方ありません。それが動物としての人間の習性ですから。
それだと何も残らないわけで、健康だけでなく精神もコロナに叩きのめされたようなものです。
(私も含め、日々)動物化に抗うことを考えていきましょう。
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