またまた大学に爆破予告があり、会議もオンラインとなったので、今日は在宅勤務をしてました。
午前中はArtractとの会議。先週のオンライン夏の合同発表会を踏まえて今後についての打合せでした。意外に意見がでず、リーダー4年(17)橘が困っていました。
こんなときこそ会議をマネジメントしないといけない。会議で打ち合わせることを事前に予告し(会議内容=アジェンダを事前に送っておく)、そして意見をもらうところは宿題として明記しておくなどのマネジメントをすると良いのかもしれません。
打合せというのも事前そして事後の処理が非常に重要で、リーダーの役割として大事なことです。
今日のArtractの会議の中で、視覚が障がいを持つ方向けのコンテンツを作っていく理由が今一つ不明瞭であるという疑問が出ていました。確かにそうかもしれません。
その疑問への回答の一つとして、20世紀の重要な哲学であった「ゾーニング」からの脱却の話をしておきました。20世紀は一か所にモノ・ヒト、情報などを集めて効率化することが前提の社会でした。
私がよく例に使うのが、住民票をどうして市役所に取りに行く必要があるのかというもの。これは情報の管理を役所で一括してやってそこを窓口にすることで効率的な運用ができていたからです。またそれが効率的であったのは住民の環境が今と異なっていたからでした。今、モバイル通信が当たり前になってきたとき、住民票管理はサーバーだけで十分であり、サービスを受ける場所を一か所に限定する必要はまるでありません。むしろ、一か所に限定すること=ゾーニングは、情報環境の変革の結果、非効率になってしまったのが21世紀でした。
コロナ禍で、ゾーニングの破壊は着実に進行しています。美術館も「#おうちで美術館」のように場所に限定されない取り組みを始めており、この動きはゾーニング思想が壊れていく過程だと思われます。
そうすることで、これまで美術館に行けなかった人たちに美術を提供することになり、それが積極的に進められているコロナ禍の変革はある意味で画期的であろうと思います。
学校教育もゾーニング思想が壊れつつあります。教育が学校という場にゾーニングされていた結果、学校にいけずいた人たちは教育からブロックされ、それがずっと続いていました。しかし、コロナ禍はそうした20世紀の効率化の産物であったゾーニングを壊してくれようとしています。
こうした動きは美術館でもおきているわけです。美術館というゾーンがオンライン革命で破壊されるようになってきました。
並行して、先日読んだ「13歳からのアート思考」によれば現代のアートは、従来のアートの思想の破壊であることを教えてもらいました。特に印象的だったのが、最も新しいアートは、一部の人たち、ある特定の人たちにゾーニングされていたアートを多くの人に解放していく取り組みであることを知りました。衝撃を受けました。
ならば・・・
さらに話を進めるならば美術を「視覚」からも解放していく取り組みがあってよいのではないか、と。
現代は特に「視覚」に支配された社会であると思っています。視覚を前提に社会が作られています。それを少しでも緩和していく取り組みがあってもよいのではないかと思います。
この問題についてはガリラボ通信でこれまで2回ほど言及しました。
・アートとは何かを問い直してきた20世紀のアート界(ガリラボ通信2020/7/28)
・美術館を視覚に使わずに楽しむには(ガリラボ通信2019/10/6)
Artractのメンバーは、これらの通信に書かれていることをよく読んでおいてほしい。そしてそれらを参考に、自分たちのやっていることの意味を、自分たちの頭でしっかりと考え、そしてそれを自分たちの言葉できちんと表しておいてほしいと思います。
それをやらないことには自信をもって研究を相手に伝えることはできない。美術館の方々と対等なレベルで連携していくために非常に大切です。
そうしたことをやっていれば12月には素晴らしい研究発表ができるはずです。
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