2019年7月3日水曜日

命の危険も・・プロアクティブの原則

昨日夕方、気象庁が異例の緊急会見を開いたことを知り、鹿児島、熊本でかなり危険な状態になることが予想されるとのことでした。


困りました。
本日、八代東高校で出張講義を予定していたからでした。

車で行く予定にしていましたが危険だと思い、JRにするつもりでした。
昔、水俣で大きな水害が起きた2003年7月19日、私は宮崎に行く用事で大雨の中を、夜中3時ぐらいに車で出発しました。
豪雨になり高速道路は八代IC以南が通行止めになり、そこで高速を下ろされました。
水俣でかなりの被害出ている豪雨になっていることを知らなかったので、無知とは怖いものです、球磨川沿いの国道で南下しました。
あの時点で引き返すべきでした。
家内と子どもを乗せて、雨で視界が悪い中、国道を走っていると、前方の車が停止したので、車を降りて見に行くと、球磨川が溢れ、前方の道路がなくなっていました。
慌ててUターンし引き返し、少し走ると、今度はそっちも川が溢れ通れなくなっていて、閉じ込められたのです。もちろん、私以外の車も。
夜が明けてきて、少し後ろに車が通れる山に登る道があることに気づき、急ぎ登り、高いところに車を停車。とりあえずは川の氾濫に巻き込まれる危険性はなくなりましたが、山の斜面なので崩落の危険や鉄砲水が襲ってくるのではないかと生きた心地がしないまま家族でそこでしばらく過ごすことになりました。
下に見える球磨川の氾濫ぶりは凄まじく、今でも目に焼き付いてます。

・・・という経験があるものですから、豪雨に対する恐怖は人一倍であります。
ついでに、台風についての恐怖も人一倍あります。子どもが1,2歳だったころ宮崎を襲った台風が借りていた一軒家の屋根を全て吹き飛ばし、家財道具がすべて濡れ、あくる日、靴のままで家の中から上を見上げたとき、台風一過、綺麗な秋晴れの空がよく見えて呆然としていたことをよく覚えています。
危険なレベルの豪雨との発表を聞いて、事務局と相談したら、中止にした方がよいと提案してもらい、当日になってのドタキャンよりは、前日にキャンセルした方が相手方に迷惑がかからないだろうと判断し、中止が可能かどうか事務局から高校に打診してもらい、先方から中止の承諾をしてもらいました。

結果的に、豪雨をもたらす雲は逸れたくれたようで現時点では熊本地方はそこまでの雨量にならなかったものの、キャンセルさせてもらって非常に良かった。
結果的にそこまでなかったものの、キャンセルしていなかったら、朝、八代まで行けるだろうか、そしてたどり着けるだろうか、さらに到着しても、講義した後、夕方になってから熊本まで戻れるだろうかと、そうなったときの方策なども考えておかねばなりません。
その時点時点では、先のことを完全には予測出ないわけで、考えることが多すぎて、講義にまるで集中できず、ろくな講義は出来なかったのではないかと思います。

授業で、失敗学の話をすることがあります。
武勇伝になるような大きな決断をするというのは、実は、それまで問題解決を先送りしていた結果であり、やっていることは派手になるわけですが、あまり賢い人がやることでない、と。
それは普段をすこしさぼっておいてコトが起きたら対応するという、非常にリアクティブに行動しているのにすぎません。
真に優秀な人は、判断をしているようにも見えないほど、常時判断をしていて失敗が成長しないようプロアクティブな行動をとっている人であろうと思います。

色々と失敗をしてきて、そのたびにリアクティブな行動をとってきたでの、その経験を踏まえ多少でもプロアクティブに行動していければと思っているところです。

ゼミ生にもプロアクティブに考え、行動していってほしい
 
災害に対しては特にこの「プロアクティブ」というのが非常に重要になります。
プロアクティブの原則とは?危機管理を行う上での考え方
https://bousai-tech.com/taiou/proactive/


ところで今日予定が空いたので、今日は読みかけの本を読了することに決めておりました。
クリスチャン・マスピアウ著「センスメイキング」
読了しました。360頁ほどの本ですが、読み終えて、こんなに長く書かなくてよいのではないかと思える本でした。
伝えたいことは100頁もあれば十分ではなかったかと思います。
現在、STEM教育などが重視され、理系偏重が強くなっていますが、理系的な考え方、今現在風に言えばアルゴリズム的思考でしょうけど、それだと「薄いデータ」に終始してしまい、相関関係はわかるでしょうが、因果関係はわからないだろう、と。
因果関係まで踏まえると、そこに意味を読み取っていく力が必要だし、そのためには「厚いデータ」が不可欠なんだ、と。
非常に大雑把にいえば、そんな話でした。
我々の思考は「われ思う、故に我あり」とデカルトが考えたようなものではなく、属する集団(コミュニティ)の下で意味が紡ぎだされている立場であるグループダイナミクスの考え方に近いものでした。
40歳まで完璧にアルゴリズム的思考をしていて、その後、厚いデータに魅力を感じるよになった私としては、この本に書かれていることは当たり前すぎることでした。
でも、そうした当たり前のことを書いていかないといけないほど、例えばビッグデータの解析に夢中なアルゴリズム思考にのみ支配された人たちが増えてしまっているということでしょうか。
教育の場でも、色々と考えないといけないことが多そうです。
私としてはゼミ生には両方の思考を持ってほしいのですが、それが多分将来に重要だと思いますので、しかしそのためには時間がかなりかかります。
飽きられてしまうそうです。どうすればいいんでしょう。
 

0 件のコメント:

コメントを投稿