2020年11月3日火曜日

授業オンライン化は「学びを止めるな」とは異なる意味を私にもたらしました

文化の日。
なので(?)、久しぶりにコラムっぽいことを書きたいと思います。
 
随分と前から「情報社会とコンピュータ」という授業を担当しています。
いくつか担当している授業の中でもっとも力を入れている科目です。
この授業では、情報社会の話題がメインなのは当然ですが、情報社会というテーマを借りる形で、私が「これまで学んできた」ことを随所に埋め込み、授業の中で紹介しています。
情報社会の講義というよりも、私が学んできたことを紹介することが(無意識ですが)主目的になっているのかもしれません。

さて、令和2年度は、コロナ禍によって大学の授業はオンライン化されることになりました。
「学びを止めるな」は立教大学で使われた言葉だったと思いますが、それが全国の大学で合言葉のようになり、理念となったこの方針から外れないよう、多くの教員が授業のオンライン化を強制されることになりました。
授業のオンライン化とは、言葉は悪いですが「授業の宅配化」といえます。
それまでお店でしか食べることができないかた料理が、自宅にも届けてもらえるようになったわけです。
多くの教員が「授業の宅配」を実現しようと、慣れない作業(講義の映像化)に必死で取り組んだのでした。

「高等教育の宅配」の実現にみなが頑張っていたわけですが、ところが・・・

「授業を配達する」という理念に従っていることは変わりはないものの、映像化に取り組んでいる中で、私自身は、徐々に別の側面に気づくようになりました。

授業の録画は本当に大変です。
対面であればアドリブで済ませていたところを、映像化するとそうした雑なことができないので、ほぼすべてをきちんとしないといけません。
授業内容をこれまで以上によく考えてから話をすることになりました(せざるを得なくなりました)。
だから本当に大変です。
しかし、そうして振り返りをさせられながら行った録画という作業は、実は、自分が主体的に学んできたこと、必死で考えてきたこと、そしてまた体験によって手に入れてきたことを記録していることに気が付いたのです。
考えてみれば当たり前のことですが、宅配化の実現にのみ集中しているモードの時にはあまり気づかないことでした。

コロナ禍でのオンライン化という圧力がなければこの大変な作業は絶対にやっていなかったでしょう。
この強制力のおかげで授業のオンライン化は、授業の宅配化(学びを止めないこと)以上の自分自身の思考の記録という意味を私にもたらしました。

若い教員は、未来がたくさんあるので、オンライン化は授業の宅配という側面がほとんどかもしれません。
しかし、ある年齢になった人たちは、私と同じように、オンライン化は自分のそれまでの(大げさに言えば人生での)経験を、授業という形で記録し、まとめていく作業になっているはずです。
コロナ禍は、私のように教員としてゴール直前の年齢となった人間にとっては、自分が生きてきた証を残す作業をさせてもらっているように感じています。
新型コロナウィルスの感染爆発は災禍であることに間違いはないわけですが、そのせいで(おかげで)散逸していくだけだったはずの記録を、教員としての個人の記録を映像として残す貴重な機会をもらえたように思います。


次は、最近ライブ収録した講義動画(原本は70分ほど)の極々一部です。


20代では物理・数学に傾倒し、30代で人の成長(学習)の問題に、40代では知覚や認知の問題、50代でフィールドワークに興味を持ちました。
その中で認知に関しては、認知科学から科学哲学、そしてその過程でもっとも勉強したのが言語と知覚の関係で、この時にウィトゲンシュタインの哲学と格闘し、そして大森荘蔵の哲学とも格闘して強く影響を受けました。
上の講義動画は、大森哲学で学んだことを基礎にその他を混ぜ合わせ、学ぶということの意味、物事を視るとはどういうことか、そしてその応用問題として地域資源を可視化するとはどういうことかを話してたものです。
これまで学んだことの一部がこの70分間の中に詰め込んであります。
今回のコロナ禍がなければ、これも数年後には間違いなく消え去っていたでしょうから、この面倒な作業を促す貴重な機会を与えてもらいました。


強制されるというのは、ただそれだけでは嫌なものです。しかし、そこに自分なりの意味を見出せば(一種のアウフヘーベンでしょうか)、それまでだと絶対に自らやっていなかったことに足を踏み入れることにつながるわけで、そう考えると、強制されるということは悪いことばかりではなさそうです。
足を踏み入れなかったのは、単に食わず嫌いだっただけかしれませんので。

そうだとすれば、強制された後に発揮する必要のある「想像力」が大切になりそうです。
想像力によって強制をプラスにする可能性が出てくるだろうと思います。

残り4回分の収録が終われば「情報社会とコンピュータ」の授業の終了。
それで15回分の記録が蓄積されます。


※情報社会と何の関係があるのかと首を傾げられそうですが、想像力の問題も、情報社会とコンピュータの中の1コマで話をしています。これは記号論と呼ばれる分野と設計学とを併せたものになっていて、授業の評価をしてもらうと、15回の講義の中で学生たちから一番人気があります(ありました)。


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