2020年5月13日水曜日

カメラを止めるな!~遠隔授業コンテンツづくり

自粛要請が解除されるとのことで、なんか一気に気持ちが緩みそうです。
ただ、そういう状況でこそ、要注意。油断は禁物です。
セキュリティの観点では、油断という脆弱性(ぜいじゃくせい)がもっとも危険ではないかと思いますので。

研究室にゼミ生がほんとど来なくなり(来れなくなり)、随分と経ちました。
ZOOMを使って、特に幹部メンバーとは頻繁に会っているので誰とも会ってないというわけでもないのですが、徐々に、ゼミ生が誰もいない静かな研究室でも寂しさを感じなくなっています。
そうした変化に気づいたとき、人間の環境適応力というものに感服すると同時に、ゼミ生との距離が遠くなってきているのに違いないと思うといささか今後についての不安も感じてしまいます。
ガリラボではゼミ生との(コロナで避けるように言われていますが)密なコミュニケーションが基盤となり、新しいことに挑戦してきた集団なので、その持ち味が失われないようにしなければと思います。


さて、研究室が静かなので、その静けさを利用して、遠隔授業用のコンテンツ作りをやってます。
次は、コンテンツ作りの道具です。
PC,通常のマウス、Webカメラ+マイク、プレゼン用リモコンマウス、タッチペン、そして資料。かなりサイズの小さな動画コンテンツを作成しています。


動画コンテンツを作るのはもちろん大変です。ライブの授業みたいにアドリブで余計なことを話せないので、余計なことを話したり、言葉に詰まってしまったような場合は、そこで諦めて、何度か撮り直しをしております。
編集すればよいのではないかと思うでしょうが、編集ソフトを使ってみました。
そうすると、同じレベルの画質を保とうとすると当初のファイルサイズよりもかなり大きくなってしまう、とううことで、解像度を落とし当初のファイルサイズ並みにすると今度は信じがたいほどに画面が乱れてしまうといった具合で、VideoSudioでもDavinci Resolveでも色々とやってもダメで、そんな作業をやっていたら、取り直した方が速いことに気づき、その後は失敗したら最初から取り直しています。

ということで遠隔授業用の動画コンテンツ作りは「カメラを止めるな」状態での緊張を強いられながらの撮影をやっております。
最近は慣れてきたので(失言が減りました。笑)、平均で2回程度の撮り直しで出来上がります。

今日も午前中は授業の撮影をやっていて、撮り直しの2回目ぐらいで、あと少しで終わるという頃、「トントン」とドアをノックする音が・・・(涙)。
小さな音だったので、その音声は記録されても大したことはないと思いましたので、続行しようかと思いましたが、断腸の思いで(笑)、カメラを止め、ドアを開けました(ガリラボでは信じがたいでしょうが、撮影中はドアを閉め、カギまでかけてます!)。

4年(17)川上でした。広報部長です。広報部関係のデータを取りに来たようでした。
川上がデータ保存をしている間に、話をしました。
現在、広報紙作成中ですが、部長への悩み相談コーナーへの相談が全く来なくて困っているということでした。
ゼミ生、卒業生のみなさん、川上に悩みを送ってあげてください。
川上は、15分ぐらいで、帰っていきました。

さて、私はというと、止めたカメラをそこから再開することはできません。
上記理由で編集をしないので。一発勝負です。
川上を笑顔で見送った後、涙を流しながら最初から撮り直しました。

編集が問題なくできれば、涙を流す必要もないのですが・・・
川上の悩み相談に出して、相談に乗ってもらおうかと思います。笑


おまけ
実は、撮影自体はそこまで大変でありません。
川上を困らせようと(笑)、ちょっと大げさに書いた次第です。
コンテンツが出来た後、実際の遠隔授業の時こそが大変です。
遠隔授業というと、コンテンツを作ってそれを出せば終わり・・。
もしそうであれば、授業の時は教員側は楽です。
自分の言いたいこと、やりたいことをやればよいだけになりますので。
(大人数の講義、いわゆる講演のようなスタイルの授業もその傾向があります)。

遠隔授業用のコンテンツを作りながら、思ったのは、せっかくやるのであれば、インタラクティブなもの、学生との相互作用が起きるようなものをやろうと思って、解説動画は事前に公開し、そしてその中で課題も提示して、授業時間中は掲示板のようなもので質問受付をするようにしました。
コンテンツ作成よりも、こっちの対応がかなり大変です。
教授(teaching)と学習(learning)はまるで違うのだということ嫌というほどわかります。

teachingをlearningだと考えている人がいまだに多い気もします。また、せっかく遠隔を多くの人が体験する機会が生まれたのに、通常の授業を単に遠隔でやることで終わってしまうケースも(私もそうです)多いのではないかと思います。

次は3月末のある方のツイートです。


飛ぶ鳥が羽ばたくように遠隔授業をやっている場合が多い。
崖から羽ばたきながら飛び降りてるようなものです。
 
遠隔授業は、対面授業の延長と捉えるべきなくなく、せっかくであれば、遠隔ならでのはことを考えていくべき。
きっと世界の中で多くのその人がそのことに気づき、コロナ以後の時代の教育の標準形をつくっているのに違いありません。
(人と会わないのでわかりませんが)身近でもそうした議論をしている人たちはいるのかもしれません。
混乱の中で、学びを止めないよう、目の前のことに対処していくことは当然のことですが、せっかくの機会なので、コロナ後のことを考えると、並行して、その上のレベルでの議論も合ってよさそうな気がします。
わが大学には教育戦略会議というのがあるはずですが、今はどういった議論がなされているのでしょう。

鳥ではなく、人が飛ぶとはどういうことかを考えたライト兄弟のように、対面授業の延長ではなく、遠隔授業を行うとはどういうなのかという視点で、夢のあることも考えてみたいものです。
 

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