2019年11月13日水曜日

新聞離れが進むと・・・

電子版を契約し、新聞との接し方が変わりました。
朝、郵便受けに新聞を取りにいくことがなくなり(後で家内が気づいたときに取りに行ってるようです)、すぐにタブレットを手にするか、時間がない時は(朝食抜きが普通なので)そのまま大学に行って、時間の空いたときにパソコンで読むようになりました。
(電子版、かなり便利です。特に、必要な情報をゼミ生に伝えるときにかなり便利です。以前は、朝、自宅で必要なところをデジカメで撮る、きれいにコピーしないといけないときは、その部分を破って大学に持参し(他は家内が見てますので)スキャナーで電子化して、ゼミ生に周知するという作業をやっていたのですが、そうした作業がいっさい不要になりました。超便利です)

今朝の新生面です。ほんと簡単に引用できます。
今日は香港の深刻な問題がテーマでしたが、冒頭、井上ひさしの吉里吉里人がでてきます。大学の学部の時に読んだ記憶があります。井上ひさしの作品は大学時代にほとんど読みましたが、吉里吉里人はその中でも強く印象に強った1つです。チーム「たまラボ」の時に「玉名国」というアイデアを展開しましたが、そのアイデアの元は実はこの「吉里吉里人」でした。





朝、紙の新聞を広げるという行動は私の場合すっかりと変化をしました。
しかし、新聞から情報を得るという行為は以前と変わらずです。
全ページに満遍なく目を通しています。

私自身は新聞購読に変化はありませんが、近年は新聞購読がかなり減少しているようです。
ネットの浸透で、色々な無料攻撃(無料のニュースサービス等)の影響、さらに他の要因なども絡んで「新聞離れ」の進行はなかなか止められない流れになっているようです。

ところでネットでのフリーのサービスはなぜ成り立つのでしょう?
昨日の院ゼミで余談でそのことを話をしましたが、フリーであることが成立するにはそれなりのビジネスモデルが背後にあります。
ビジネスモデルのことはおいておきますが、無料ニュースが配信できているのは、それを誰かが取材をしているからだということが意外に忘れられている気がします。
学生たちと話をしていると、ニュースの背後に取材をしている記者がいることをあまり意識していないように感じます。
取材する人がいるから記事の配信は可能なわけです。
新聞離れが進むと、良質の取材を行い、そして良質の記事を書く優れた記者を減少させてしまうことになってしまう可能性があります。
そうなったらフリーサービスに登場する記事もかなりいい加減な取材に基づくものばかりになりかねません(取材もなく、下手をすると噂が書かれていいることもありえます。そうなったらもうsそれはツイッターやこのような裏を取ることをしないブログと変わりありません)。
そうなったら悲惨。
世の中はかなり危ういものになっていきかねません。

東洋経済オンライン(最近、週刊誌もほぼ有料・無料のオンライン版に移行しています)に、数日前、
という記事がありました(池上彰さんの記事です)。そこに、
新聞の存在意義の1つは、この「取材」にあります。長い時間と手間のかかる取材をする記者がいるからこそ、記事が出来上がるのです。

と先に述べたことを指摘されています。質の高い取材をする人たちがいなくなり、そうなったら、悲惨な状況になります。
さらに悲惨なことは新聞自体がなくなってしまうことです。
新聞離れが先行している米国では、地方紙が経営難となって廃刊が相次いでいるとか。
この件について上記記事で池上さんは、
地域のニュースが報じられないため、地元の政治への関心も失われてしまいます。テレビがカバーしないような小さな町の選挙では、そもそも選挙があること自体が伝わらない可能性もあります。新聞が廃刊になった市では、不正や汚職が横行しました。不正を監視し、伝える記者がいなくなり、不正が報道されることもなくなってしまったのです。

と述べられています。かなり前に、米国のある町では、誰も報じないものだから気づかないうちに公務員の報酬がかなり上昇していたということがありました(参考)。
それで、この町だったかどうか不明ですが、同様な事態にあった町では、「どうにかしないといけない」と市民団体が立ち上がり、新聞を自分たちで発行するようになったということもどこかで聞きました。

さらにこんなことも起きてしまいます。

随分昔のことですが、立花隆さん(ジャーナリスト)が、ネットが普及して新聞離れが起きていくと、それぞれが好きな知識だけにアクセスするようになり、そうなると日本人全体のコミュニケーションのベースとなるような、知識の共通基盤(いわゆる常識)のようなものがなくなっていって、その結果、コミュニケーションがきちんとは成立しなくなっていくのではないかと、そういったことを何かに書かれていました。
ネットが大衆化する直前頃の話ですが(出典は不明。もう20年近く前の話だったと思います)、まさにそれが今進行しているかのようです。

コミュニケーションができなくなる、コミュニケーションを絶つことになると、縁も切れて、コミュニティはひどい状況になっていくでしょう。
親しさとは頻繁なコミュケーションの結果として現れる事態にほからないと思いますので。
 
新聞離れが進み、コミュニケーションのための共通の知識基盤が壊れ、さらにチェック機能もなくなっていくと、コミュニティには深刻な問題が発生していくことでしょう。
上記東洋経済オンラインの記事を読みながら、そう思いました。なお、同記事には他にも、スクープについての興味深い話が書かれています。
目を通してみましょう。





今朝、いつも通りタブレットで新聞を読もうとしたら、なんと接続できない!
パソコンでは閲覧できますが、タブレットではログインができないという・・・。
困ったので、今日は紙の新聞をポストに取りにいきました。
こんなトラブルもあるので、リスク分散として、紙の新聞はバックアップとして必要そうです。^^;
 


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