2010年3月27日土曜日

道具談義

昨夜の私塾=KW塾は、研究室に集合したのは私を含めてわずか3名だけでした。
年度末のちょうど忙しい時期でした。

ところで、KW塾は始まってちょうど2年ほどになります。
組織の盛衰論でいけば成熟期を過ぎた辺りにいるかもしれません。
時間が経てば、どんな組織にも、プロジェクトにも妥当する自然の摂理のようなものでしょう。

一般論として、成熟期を越え、衰退期に入った後、それを活性化するにはどうすればよいかというと、解散して新しい組織として構築しなおす、メンバーを入れ替えるなどいくつの方法があるようです。
組織論は専門ではないのでよくわかりませんが、素人的にも、このほかに新しい道具を導入するという方法もありそうに思えます。
  
昨夜は、デザインという立場から道具を取り上げ、道具談義を数時間ほど行っていました。
もっとも組織論とは関係なく、単に道具の持つ意味についてのお話です。
人数も少なかったので、私の一方的な雑談風講義になってしまいましたが・・・
 
さてさて、道具とは、いったい何でしょうか?
 
仕事を効率化するものにほかなりません。
しかし、実はこれが持っている意味はもう少し深い。
私たち自身をコントロールする。そういったものであります。
 
道具とは、私たちの欲望を喚起させるものにほかなりません。
その結果、道具によって私たちの活動はデザインされ、組織化されていきます。
ホモ・ファーベルとしての人間は道具を作り、そしてその道具によって自らを自然に変革させていく、そんな存在であるのです。
  
ペンがあるから私たちにはメモしようという欲望が喚起さる。
その結果、この外部記憶装置によって、生物学的に貧弱な記憶機装置である脳の限界を乗り越えて、私たちは新しい世界を手に入ることになりました。
実際、現在は、メモで情報を記録できること、そしてその記憶を別の時・場所で非同期的に読み取れるという非同期コミュニケーションが可能であることを前提に社会が作られて(デザインされて)いますね。
 
話を聴くときなど、どうしてメモをとるのでしょうか。
答えは、そこにペンがあるからです。
 
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ペンがあるから、メモしようという欲望を喚起されてしまいます。  
バカバカしく聞こえることと思います。
しかし、そこをぐっと我慢し、素直に驚いてみましょう。
ゆっくりと、じっくりと考えてみると、この当たり前のことが実に深い意味を持っていることが見えてきます。
私たちの感覚が実は道具によって決められているという驚くべき事実に気づくはずです。 
そのとき、当たり前の世界が持つ豊かな意味の世界が広がっていることが見えるようになる(可視化される)でしょう。
 
当たり前であることの不思議さに驚くこと--そこには新鮮な研究の領域も広がっています。


さて、昨夜はもっと色々なことを話したのですが、エッセンスはおおよそ上のようのことでした。
 
  
いつものガリラボ通信とはだいぶ違った文章になってしまいました。
ここまでたどり着いた人は、読むのに辟易してしまったではないでしょうか。
でもまあたまには、私が考えているアカデミックな領域のことも書かないとですね。
普段はなかなかここまでのことを学部のゼミ生に話す機会がないので、たまにはいいかと思い、書いてみたしだいです。
 
 
冒頭の話に戻りますが、組織に新しい道具を導入し、活動を新しい次元に持ち上げることを拡張による学習といいます。
道具によって周囲(環境)とその見え方を変えることで、自分(たち)を変えていく。
そういった学習のあり方を指します。
ガリラボの活動の方向を考えていく上で、実はこの学習理論は非常に重要な理念的役割を果たしているのです。
 

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