2018年12月11日火曜日

大学とはなにかよくわからなくなってきている

茂木健一郎さんの本日のブログ「もはや、日本の大学は大学ではないのかもしれない。」を読みました。
相次ぐ医学部入試の不正の問題についてです。こうした不正を見ると、大学は果たして「大学」という名に値するのかと問われていました。
大学は学問の府であり、人類がこれからどちらに向かうのか、その方向性や価値観を研究し、示す場であるはずだ。これがもちろん理想論であることは確かだが、そのような方向性を目指していたからこそ、大学は尊敬され、大学教授はオピニオンリーダーだったのだ。

厳しい指摘です。一方で、大学における職業教育の強化という側面もでてきています。
全国には800ほどの「大学」があります。
これらはすべて同じ「大学」なわけですが、それを全て同じ「大学」として見なしていることに無理がでてきているのかもしれません。

 
今日は授業でした。
準備にはそれなりに時間をかけたものの、「大学とはなんぞや」とかそんなこと考えることはなく、淡々と授業をやっておりました。
その後、福岡に出かける道中で「トランプのアメリカの住む」という東大の先生が書かれた岩波新書に目を通したのですが、そこにはハーバード大学と東大(および日本の国立大)の授業についての考え方と実践とが比較されていました。
「淡々」と授業を「する」などはもってのほかであり、さらには授業とは教員がするものでもないことがそこには主張されていました。
授業の主役は学生であるべきとのこと。
それはそうですね。
教員は黒子であるべきだと力説されておりました。

読みながら、ハーバードでは授業なのでそのまま比較できるわけではないですが、(私の授業はとりあえず置いておき)私のゼミの活動は(内容はともかく、方法論は)ハーバードの授業とかなりそっくりだと思いました。
無意識ですが、学生たちを主体的にするためにはということを突き詰めて考えていくと、誰もが似たような結論になっていくのかもしれません。

私のゼミでは、そうしたゼミを運営する上で重要な役割を演ずるのがゼミ長です。
歴代、優れたゼミ長がいました。
・・・というか、やっていくうちに優れたゼミ長へと成長していったように思います。
 
ところで、喫緊の課題は17ゼミのゼミ長決め。
まだ決めていません。
早くしなければと思っていますが・・・
 
   


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