2020年12月24日木曜日

記録を残すというガリラボの慣習

今週の火曜日(12/22)に、1年生のゼミ生が、これまで調査してきた成果の発表会を行いました。他ゼミとの合同発表会です。

津曲ゼミの1年生は3チーム。
トップバッターは女子学生だけのチームで、GO TOキャンペーンの政策的意義について研究し、発表しました。チーム名を決めてほしいと伝えてましたが、ここだけ決まらず・・・でした。
2番目は男子学生と女子学生が半々で構成されたチームミックス。ここはオンラインと対円授業のメリット・デメリットをインタビュー調査も踏まえ研究しました。
考察の結果、ハイブリッド型が望ましいという結論に達していたように思います(この結果は、大方の大学の関係者が考えていることと一致しています)。
最後は。男子学生だけで構成された卒論ボーイズ。
映画「ウォーターボーイズ」を思い出してしまいました(笑)。ただ、研究内容は非常に硬い内容です。卒論の意義を国内や国外まで含め調べ、それを踏まえて自分たちの意見を明確化しており、素晴らしい発表でした。

1年のゼミは、津曲ゼミというのには少し距離があるので、これまでこの通信で伝えることはありませんでした。
なぜそれを今日書いているのかというと、理由は、上の写真を誰が撮ったのかに関わっています。
私(津曲)が撮ったものではありません。
今日の通信で一番伝えたかったことの次の2枚のキラーフォトによって的確に表現されているかなと思います。
4年(17)岩奥が写真を撮っています。机から乗り出すように、さらには場所を変えて。

そしてまた、岩奥が写っているということは、この写真を誰かが撮っているわけです。
1年生を撮影している岩奥を撮ったのは4年(17)橘です。
こうした記録者がいて、初めて記録というのは残ります。
記録は意識的にその場にいないと残せません。
記録者が不在の時、その時の出来事は時とともに流れていってしまうでしょう。

4年生(17)では、岩奥と橘が、私がいないときは記録者となりその写真を送付してくれます。
その写真を使ってよく通信を書いているのですが、歴代のゼミ生の誰かがこうした記録者として行動してきてくれました。
ガリラボの慣習といってもよいでしょう。

記録は、それがあることでその出来事を固定していく力があります。
この日、別のゼミと一緒でしたが、そちらではこの日の記録はないはずです。
1年後、そのゼミにおいて、この日あった発表会の記憶はおそらく消えてしまっているのに違いありません。

小まめに記録することの重要性。特に、日常の風景を残していくことの重要性(日常の残すことの大切さは、宮本常一という民俗学者の態度から学びました)。
日常は日常ゆえに記録が残りにくく、その結果、後に残らないという特徴があります(ちなみに、私はガリラボの日常をできるだけ残そうとしてこのガリラボ通信を始めました。またプライベートでも頻繁に撮影していて、膨大な記録があります。その整理にも結構な手間をかけています。後ですぐに取り出せるように)。

ガリラボのゼミ生には、記録ということを学んでいってもらうといいかなと思います。

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今日はクリスマスイブですね。みなさん、楽しい時間をお過ごし下さい。