2020年12月3日木曜日

「待つ」という主体的な行動を不要にする社会

「情報社会とコンピュータ」なる授業を毎週火曜にオンラインで開講しています。毎回課題を出していてその〆切が翌日。水曜日の23:59までOK。 今年度は履修者が多く、その課題を毎回200名強の学生が提出してきます。日課になってしまいましたが、木曜日は朝5時起床し課題を読んでいます。読んで、全体として気になった点は、補足授業の意味で全員に向けてコメントを公開しています。

そこまでの作業を8時ぐらいまでに終わらせ出勤、というのが後期のルーチンとなりました。

今週の授業テーマは「情報産業社会」でした。 15回の中でも力の入れ具合の大きいテーマで(私自身が気に入っているテーマだからですが)、力が入ったせいで、授業動画は1時間を超えており、視聴した学生たちは辟易したかもしれません。

ただ、反応してくれたのか、今回非常に面白い内容の課題を提出してくれている学生がいました。大変気に入りました。課題には答えていないのだけど・・と断りをしつつ、あえて提出されていました。笑

提出された課題は次の文章(一部)です。

これは自由課題ではない…。読み返すと、全く質問文に答えていないことに気づいた。反省。

1年のうちアイロンがけにかける時間を計算し、それを節約できる「アイロンがけのいらないワイシャツ」のCMが流れていた。アイロンがけの時間を盗まれてますね…。アイロンがけする時間も楽しいと思うけどな、私は。 仕事に忙しい人はそう思えないのですね。 「星の王子さま」の後半の場面、王子が地球で「喉がかわかない薬」があることを知った時を思い出した。 1週間に1度これを飲めば、水を飲まなくて済むという薬です。  王子「どうしてそれが売れるの?」  薬売り 「計算したら、1週間に53分、時間が節約できる」  王子「その53分を何に使うの?」  薬売り 「何でも好きなことに・・・」 星の王子さまは私の好きな本の1つです。時間に追われてせかせか生きる人、時間を節約して好きなことをしようとしても本当にやりたいことは見つかっていない人、そんな人の話がここでは書かれていると思いました。  王子 「53 分を好きに使えるなら、ぼくだったら、新鮮な水がある泉のほうへ、のんびり歩いていくんだけどなあ」 私もそう思うよ!王子! いつから人は時間に追われるようになったのか。いつから時計には長針や秒針がついたのか。いつから時間に支配されることが前提になったのか。高校か中学の国語の教科書で見たような内容だな…。 高校の教科書を見返したら1つだけ見つけることができた。内山節 著 「時間と自由の関係について」 (東京書籍 国語総合 現代文編) 学校に時計が導入されたときの話、現代人は外部化された時間に支配されていること、人間の寿命について… いま読み返してみると受け取り方がまた違っていて面白いです。 「私は、一度時間を既成観念から解放しなければならないと思う。時間の自由さを回復してみたいと思う。人間にとって自由とは何かを考えるのなら、人間と共にある時間そのものを、もっと多様で、もっと自由なものにしなければならないのである。」 もうひとつくらい教科書にあった気がするけれども見つからなかった。 「時は金なり」は違うよね…って話はどこの教科書に載ってたっけ…? 「情報社会のパラドックス」 清水克雄 著 も今読むとより深い…。  いい時間を過ごした。

魅力的な文章だと思いました。自分の経験を踏まえて書かれているからでしょう。多くは、自分の経験とは遊離した文章が多い中で、この受講生は、その人となりをよく感じることのできる文章で、魅力を感じます。

さらに、この受講生は高校の教科書をいくつか参照しています。それも素晴らしい。優れた文章は高校の教科書に掲載されているものです(厳選したものが採用されているでしょうから、教科書では優れた文章に出会う確率は高いはずです)。 私もよくゼミ生には高校の教科書を読めと言うことがあります。司馬遼太郎さんも新しい領域を学ぶときは高校の教科書とか、青少年向けに書かれたものを読むのだということでした。私も最近の分子生物学について勉強した時は高校の参考書を買って読みました。もしあれば、押し入れから出して、埃を払い、机の上においておくとよいかもしれません。読み直すといいと思います。

ついでながら、課題を読み、今回の補足授業としては次のコメントを書いて、受講生に公開しました(どれほど読んでくれるか分かりませんが・・・)。 時間泥棒は、私たちから「待つ」という主体的な行動を奪っているのではないかということ、そして参考資料なども紹介する形での補足です。

自分たちが今暮らしている社会というのは、私たちの行動を規定します。社会が前提で私たちは生きています。 連絡を取りたいときにはスマホを取り出せばよいし、お腹がすいたらコンビニいけばいいという社会を私たちは生きていますが、この社会は、私たちに「待つ」という行為を失わせることにつながっているでしょう。「待つ」という「無駄な時間」を時間泥棒は「盗み」、待たなくてよい状況をつくりだしてくれています。便利です。 スマホからの受付で病院での待ち時間が無くなることはよいことです。特に小児科とか。子どもたちへの感染症対策として効果的でしょうから。 今後、AIが台頭してくるとさらに「待つ」ということをしなくてよい状況を作り出していってくれるでしょう。確かにそれは便利です。しかし、絶対に待たないといけない状況、待った方がよいという状況もあるのではないでしょうか。 だけど、待つことを失った社会では、待つことを許容できない人間を生産し、溢れさせているかもしれません。「電話しているのに、なんで出ないのだ・・・」「ラインに既読がつかない!」といってイライラしているとき、時間泥棒がきっと横にいるのに違いありません。 現代社会とは、人々から「待つ」という主体的行動を奪う傾向にあります。 ところで、待たないといけない状況ってどんな場合があるでしょうか。 人の成長とかそう思います。子どもの成長には、年齢に応じたものがあります。1年待たないと歩けるようにならないし、3年待たないと流ちょうに会話することはできない・・・。 しかし、待てない人が生産されていくと、待てない親だと、つい無理やりに出来ないことを出来るようにしたくて(話すのを待てず、「つまり、あなたが言いたいことは、こういうことよね」と代わって話してやる行いなどが該当するでしょうか?→背後に時間泥棒の姿が見えそうです)、促成栽培をやろうとしてしまう。 しかし出来ないものはどうやっても出来ません。そこでは、人には、出来るまでじっと「待つ」ことが要請されているのです。待てない人は、イライラを募らせることになりでしょう。それは、待てない病の症状のひとつかもしれません。 西欧文明の持つ課題について、南海の酋長「ツイアビ」さんの演説集「パパラギ」を読むと、この問題を考えるのによい題材だと思います。「モモ」と並んで「パパラギ」もおすすめの本です(読みやすいです)。 そして、「フーテンの寅さん」で著名な映画監督・山田洋次さんによる「学校」シリーズの映画があります。これも大変素晴らしい。その中の「学校Ⅳ」は特におすすめです。学校って学校の中だけなのかということをテーマにした映画です。この中に出てくる自閉症の青年の詩には心を打たれました(山田監督からのメッセージなのでしょう)。現代社会の価値観を強く問うものでした。もし機会があれば視聴してみることをお勧めします。 


一部ですが、今日、授業後のコメントとして公開した内容です。対面授業では、おそらくこうしたコメントは出さないと思います。昨年まであれば、課題を出した「後」のことですから、公開してもそれにアクセスするという行動を取らない確率が高いでしょう。オンラインが当たり前になった結果だと思います・・・なので、オンラインは対面よりも大変です。


長くなりました。以上です。上記コメントで触れた「学校Ⅳ」はガリラボ通信でも随分前に紹介しています。 → ガリラボ通信2015/8/31 (参考までに)

もうひとつ山田洋次監督についての書いたガリラボ通信です。これも参考までに。

→「男はつらいよ」の個性の源泉をヒントに(ガリラボ通信2018/6/2