2019年10月26日土曜日

今日は崇城大学へ

今日は昼前から崇城大学に出かけました。
立派できれいなキャンパスです。
土曜日でしたが、お昼には食堂にたくさんの学生たちがいて、屋外でも学生たちがいて、活気を感じました。


今日の用件は「初年次教育実践交流会in九州」への参加。
参加者は少ないんだろうなと思っていたら、定刻になると100人ぐらい入りそうな教室がかなり埋まっていて、関心の高さを感じました。
熊本県内の大学で共通教育改革に取り組んでいる人たちからの事例報告が中心で、それらを聞いていると取り組みに差はあれど、どこも懸命に取り組んでいることが伝わってきました。
残念ながら県立大の報告はなし。県内の多くの大学が報告している中で残念な限りです。


ところで、現在、国は学生調査を大規模に行い、その上での大学教育の可視化を計画しているそうです。
https://resemom.jp/article/2019/06/14/51034.html
調査の目的は、
大学教育に対する国民の満足度が低く、社会に対する発信も不十分との考えから、・・

という背景からのようですが、なんともはや・・・です。
こうした取り組みの積み重ねとして、大学は、前の大学とは似て非なるものに変わっていくことでしょう。

当初、移動できる電話だった携帯電話に電子メール機能がついて、スケジュール帳がついて、さらに機能が追加されていって、徐々に電話機能がメインでなくなっていくと、ある時、「携帯電話」は「ケータイ」へと変化しました。
さらに今はそれが「スマホ」へと変化しています。
(私はこの不可逆的言語変化に強い興味を持っていて、いつかこの方面での論文を書いてみたいと希望(だけは)持ってます)
色々な機能が追加されていくことで、不可逆的変化が起きると、最終的に当初とはまるで違うものになります。
少しづつの変化が積み重ねが、いつの間にか大きなパラダイム転換を引き起こします。
 
Artractが今回の白亜祭でも実演する「アハ体験」のようなものです。

アハ体験の際、現在の変化に気づきません。変化が累積し、過去とは随分と様子が変わっていることにも気づかずにいるのは怖いことです。
気づいたら変わってしまっている未来に対応できない可能性もあるわけですから。
 
そんなことを他大学の事例を聴講しながら感じてしまいました。

変化に対抗するには、自分が変化していことしかありません。
ダーウィンが進化論において主張した(発見した?)ことです。



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