2019年10月6日日曜日

美術館を視覚を使わずに楽しむには

次のネット記事に遭遇し、大変驚きました。
全盲の方が美術館を楽しむという記事です。

全盲で美術館を楽しむ白鳥さん。「見えないから大変」の言葉がしっくりこない
HUFFPOST 2019/9/16

白鳥さん、全盲にもかかわらず年に何十回も美術館に通われるのだそうです。
最初は意味が全くわからず、驚くというよりも困惑状態。
意味が分かりますか?

意味不明でしたが、本文を読んで納得しました。
この通信を読んでいる方にも、是非、上記記事を読み、何かを見ることの意味を考えてほしいと思います。
  

全盲の白鳥さんは、「対話」によって作品を「見る」ということを実践されているわけです。
全盲の方が美術品を見るという行為とはそういうことかと、言われてみればその通りで、それしかありえないであろうと思います(彫刻とかは触覚が使えるので、触覚を使って楽しむことはできます)。
しかし、この記事を読むまでは何のことか全くわからず、自分の想像力の弱さ、そして物事の理解力の弱さを痛感してしまいました。

年齢をいくら重ねても、世の中知らないことばかりで、そのことにもまた驚かされます。

この件に関連した記事をネットで検索してみると、白鳥さんが出演されたラジオ番組
  視覚障害者と美術鑑賞する、を通じて考える「本当の意味での芸術体験」とは?
  TBSラジオ 2019/8/1
を発見しました。
放送された番組の音声もおいてあります。
番組を聞いていて、なるほど目の見えない方の状況とはラジオと一緒なのだと、ここでも改めて再認識させられました。
見えないというのは、目の前が真っ暗ということでなく(それは真っ暗が見えているわけですから)、「見る」というカテゴリーが存在しないわけです。
この状況は、ラジオによる表現と同じです。
触覚、嗅覚等が使えない状況では、目に見えない方とのコミュニケーションは音声のみになるわけですが、それはラジオの世界そのものです。
目で見ている世界を音(音声)に翻訳していく必要があるわけで、ラジオは、上記白鳥さんの美術館体験をいつも実践しているメディアであることがわかります。。
そう考えるとラジオとはかなり難しいことに挑戦しているメディアだと言えます。
 
音の風景(サウンドスケープ)というものに、昔、少し取りつかれたことがありました。
ガリラボ通信2012/12/8
視覚に障がいを持つ方々が見ている風景を表現したいと思っていたのですが、同時にそれは障がいを持っていない人たちにとっても大事な風景だと思っていました。
このことをすっかり忘れていました。

美術館のサウンドスケープとか、大事なテーマなのかもしれません。
表現という課題として、やるべき価値は十分にありそうです。
  



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