梅雨の晴れ間、なぜだかわかりませんが、頭の中に
この味がいいねと君が言ったから七月六日はサラダ記念日
が浮かびました。どうしてそうなるのか・・・。まるで意味不明です。
これは、歌人・俵万智さんの代表的な歌です。
当時、これが収められた歌集は大ベストセラーになりました。
沖縄に移住しておられたようですが、ご長男の小学校卒業を機に2016年から宮崎に引っ越され、宮崎が現在の創作拠点となっています(宮崎は私の故郷なので、なんか嬉しい)。
昔から俵さんのツイッターをフォローしております。俵さんが沖縄におられる頃、小学生のご長男の言葉をツイートされていました(2012年のことです)。
「先生ってさあ」と息子。「よく、前を見なさい!って言うよね」。まあ、あんたがよそ見ばっかりしてるからじゃない?「でもさあ、オレにとっては、見ているほうが前なんだよね」…ん?
確かにそうですよね。このツイートを読み、みんないつだって前を向いていることに気づいた次第です。
停止していない限り、横道に逸れていても、後退していても、実はその方向に、前を向いて歩いているのだと思いました。
私自身は、歌に特に強く興味を持っているわけではないのですが、たまに心を動かされることがあります。
10年ほど前に出版された「生きていくための短歌」には衝撃を受けました。
前にもこの通信で紹介しましたが(ガリラボ通信2014/6/1)、改めて書き留めておきたいと思います。
様々な事情にて定時制高校に通っている方々が、授業の中で詠まれた歌が収められています。
最初に登場するのが
不登校働き学ぶ夜学へと優しい友と卒業めざす(2009年)
という歌です。学校という存在が不登校というカテゴリを生み出すことを、コロナ騒動は顕在化させました。これまでの学校の方式が不登校を生み出しており、オンラインは、そのカテゴリを解消できることを教えてくれました。それを知った時、オンラインはそうした(一種の)差別を解消できるという意味で、むちゃくちゃいいなと思いました。
次は34歳の方の歌です。
遠き日に手放したり卒業の2文字を追って夜学に通う(2004年)
ご両親がいなく、兄弟がバラバラになるのを避けようと生活のために働きはじめ、妹・弟が独立できたのを機に自分の生活をやり直そうと高校に入りなおされた方です。
この歌に接したとき、思わず涙してしまいました。
コロナの影響で、学生・生徒にとって学校はそれまでの人たちは異なる意味を持つことになったのに違いありません。
どういった場として見えるのでしょう。そしてそれが本人たちにどんな影響を与えているのでしょう。
私は、1年生向けのキャリア形成論という授業を担当しています。
大学生としての歩みを始めてもらうため2009年に設けた科目で、初年度からずっと担当しています。
今年の1年生は、入学しても大学にほぼ足を踏み入れることもできない、友達も作れない、サークルにも入れないという状況です。
高校の延長としてスムーズな連続線をたどって入学してきた学生たちとは異なる価値観をきっと持ったはずです。
不連続線の上を「前に歩いて」いる1年生には果たしてどんな景色が見えているのでしょう。
よくわかりません。
ただ、確実に言えることは、このコロナ禍の中でも、みんなそれぞれに前を向いていることは間違いなさそうです。
きっとどこかには辿り着くことでしょう。^^;
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