コロナの影響で大学に来ることがほぼない状態におかれている1年生。
そうした状況の中で「考えたこと」について5分間にまとめて発表してもらいました。
ゼミでの発表という行為で、大学生であることを自覚してもらうためと、同じ境遇におかれた1年生がどういったことを考えていたのかを共有することを目的としたものでした。
プレゼンの前日、次のメッセージを全員に送っておきました。
みなさん、準備はOKですか。内容についてしっかり検討してからプレゼンに臨んでください。大学1年生だと、上手い下手はあまり重要ではありません。深く考えたかが大事です。また、練習したか/しなかったも重要です。大学1年生レベルでそこそこ上手くても、練習しない人はまず伸びません。
そして昨日、12名が1人5分間「コロナ禍の中で考えたこと」を発表しました(写真:4年(17)橘)。
コロナ禍で外に出られず、そのときに色々と考えたようです。プレゼミ生が考えたこととして、昨日は、
政府の対応の問題、格差拡大の問題、デマ情報の拡散問題、
仕事への影響、自分の日常の変化
等などが発表していました。
鳥の目・虫の目と多様な視点があり、12名も集まると色々な視点でコロナ禍を捉えることができることがわかります。
最後、プレゼミの手伝いをしてくれている4年(17)園田と橘に1年生の発表に対してコメントしてもらいました。
2人とも発表がうまいとほめておりました。
実際、みんな発表はうまかった。
ただ、私からひとつだけ忠告をしておきました。
他の1年生が発表している間、みんな熱心に聞いているのでは良かったのですが、手が何も動いてないという。
誰もノートとペンを出しておらず、誰一人としてメモを取っていない。
ノートを取るというのは、「学び」のための基本中の基本です。
ゼミとは他者からの学びの場です。
あれだけ多様な視点が集まったのだから、自分の視点とじっくりと比較して自分の視点について考えるためには他者の視点を記録しておくことが不可欠です。
そういうのを経験学習とも呼びます。
ただ座っているだけの学びでは主体的な学びとは程遠いでしょう。
流行りのアクティブラーニングを実践できていないとも言えます。
アクティブラーニングは体を動かすことでなく、本来、脳みそをフルに動かすことであり、そのための補助的道具としての手を使うことは極めて大切です。
メモを取ることの意味をいくつか話しました。
ガリラボでは会議では議事録を取る、またゼミでは活動記録を取るを徹底しているので(終わった後、それらの議事録が全員に送られてきます)、メモを取るトレーニングができていると思います(残念ながら全員には浸透できてませんけど)。
メモは、トレーニングしないとできるようにはならないようです。
1年生も高校時代の授業ではノートを取っていたはずです。
あれは、主体的にノートを取っていたというよりも、教師が書くとそれに反応して書いていたということかもしれません。
いわゆる、リアクティブな反応だったということでしょうか!?
主体的な行動が取れるようになることが望まれます。
それはもちろん1年生だけでなく、ガリラボのゼミ生みんなにも言えることです。
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