2010年1月10日日曜日

速読の訓練開始

大学の教員にはそろそろ地獄の季節がやってきます。
講義が終わる時期になり、休みに入ったりすると世間的には大変気楽に見えるようですが、断じて違います。

1月に入ると論文の添削などが始まります。
現在、ガリラボには13名の4年生がいます。
その彼らがそれぞれ20,000文字程度の論文を提出するわけです。
合わせて26万文字。
日本語の文章、しかも時々、奇妙な日本語が忍ばせてある文章を、これほど大量に読まないといけない。
かなりの努力が必要なんです、これが。
書くのが大変なことはもちろんわかっています。
私自身、毎日書いていますので。
メールやブログなど合わせると、数えたことはありませんが、毎日たぶん2,000とか3,000文字、いやひょっとすると場合によって5,000文字ぐらい書いているのではないかと思います。
(このブログも書き終わって数えてみたら、1,500文字ほどありました)

書くのは大変です。それはわかっています。
しかしながら完成されていない文章を大量に読むというのは、それはそれでかなりの忍耐と高度なスキルの要求される能力なんです。

さらにガリラボには修士の2年生が2人います。
彼らは40,000文字の論文を提出してくれます。
となるとそれで8万文字。

学部生と合わせると、なんと34万文字になります。orz
これをちゃんと読むんですよ、ちゃんと。

本日は朝からひとりの修士2年生(佐藤)の論文草稿を読みました。
58,000文字ほどありました。
これはよい文章でした。
内容もよく書けていましたが、しかしやはり読むのはなかなか大変です。
修士の場合にはそれを読んで、報告書まで作成しないといけないんです。
2月はそういった仕事に忙殺され、泣きそうなくらい大変になります。

最近、ネット社会になってどういった能力が必要かとの議論がされることがありますが、どこかの論者によれば、それは「速読術」であるとのこと。
ブログなどやたらに情報が発信される世の中です。
それをチンタラ読んでいたんでは、どうしようもない。
そんなことではこの膨大な情報洪水の中から重要なものを取り出せないのだ、と。

だから速読術が必要だと、そういう主張です。
確かに当たっているように思います。

思えば大学教員とは、毎年、日本語をそれも奇妙な文章を含んでいるものを大量に読むという、泣き出しそうなくらいきつい速読の訓練を強制的にさせられているわけです。
きついなーといつも思っていましたが、しかし人生、そんなことがどう転ぶかわからないものです。
時代の潮流に乗る訓練をさせてもらっていたようです。
速読・・・の議論を知って、人生、何も無駄なことはないなと思った次第です。(^_^)

とは言うものの、できれば普通の日本語を読みたいので、提出されるみなさんは、よく推敲して読みやすい文章で提出してくれること願っています。
よろしくお願いします。

これから大学教員にとって受難の季節が始まります。

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以下、先日の東京出張のちょっとした続きです。
東京ビッグサイトのすぐそば、歩いて5分のところに有明テニスの森公園があります。
テニスをやっている人にとってはちょっと憧れる場所ではないかと思います。
下の写真はその公園内の有名な有明コロシアム。
かなり大きな建物でした。
一度はこんなところでテニスをやってみたいものですが、まあ絶対に無理でしょう。



有明テニスの森公園から見える東京ビッグサイト(朝の8時ぐらいです)。
なんか、要塞のように見えました。
逆光で暗く写っている左の高い建物が宿泊していたワシントンホテル。



こんな風景を見ながら、一緒に出張した連中と、いったいどこが不況なんだと地方とのあまりの格差に大きな矛盾を感じながら帰ってきました。
地方で、地方の資源で育てられた人々が、生産ができるようになると少なくない人が東京を目指す。
ひとつの矛盾がここにはあります。
最近、そんなことをよく感じております。
そのせいもあって、この矛盾の問題が私の今回の論文のひとつのテーマになっています。

2 件のコメント:

  1. 最近、NHKクローズアップ現代で「“逆転の発想”が日本経済を救う」という回がありました。それには、各地で美少女図鑑というものが発行されていて、その仕組みが地域を活性化させるヒントがあるというものでした。
    そのなかで、全ての文化(=何かワクワクさせるもの)は東京(=大都市)になるというという幻想を捨て去り、地元でもカッコイイ何かを生み出すことができるんだという編集者気持ちが描かれていました。

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  2. toshimacさん。コメントありがとうございます。
    美少女図鑑は有名ですよね。色々なところで取り上げてあります。最初知った時、なるほどそうだよねーと思ったものです。これに限らず、地方でそれぞれのやり方があることは間違いないかと思います。そのために創造性豊かな人、そしてそれを実践する頑張る人を地方にどう確保していくか、or 育成していくかが重要になるんでしょうね、きっと。

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